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“千葉ジェッツを変えた男”大野篤史が明かした、退団の理由と6年間「選手一人ひとりに経緯を伝えた」「僕より先に奥さんが泣いていました」

posted2022/06/30 11:01

 
“千葉ジェッツを変えた男”大野篤史が明かした、退団の理由と6年間「選手一人ひとりに経緯を伝えた」「僕より先に奥さんが泣いていました」<Number Web> photograph by CHIBAJETS FUNABASHI/PHOTO:Atsushi Sasaki

千葉ジェッツHCを退任する大野篤史。就任6年間で、7つのタイトルを手にした

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ミムラユウスケ

ミムラユウスケYusuke Mimura

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CHIBAJETS FUNABASHI/PHOTO:Atsushi Sasaki

 理想も、現実も。両方追い求めてきたのが、千葉ジェッツふなばしを率いた大野篤史(44)だった。

 Bリーグ開幕からの6年間、つかんだ公式戦の勝利数もタイトルの数も最多だった。タイトルはBリーグ年間優勝が1回、地区優勝が3回、天皇杯優勝が3回を数える。

 それなのに、勝利至上主義に走るような指揮官とは対極にいたのが、大野だった。

「『ジェッツの戦いを見ていたら元気をもらえた』と思ってもらえるようなチームになろう」

 Bリーグのヘッドコーチ(HC)として、プロスポーツクラブの理想を追求するために壮大な夢を語り続けながら、競技面の成績も残したところに価値がある。

大野がジェッツHC退任を決めた理由

 大野がジェッツと違う道を歩みたいと申し出たのは、両者が求めるものに「乖離がある」と感じるようになったから。長く続けていけば、色々なものが変わっていく。どちらが正しいという問題ではない。あるのは目指すゴールの違いだけ。

 最終的な決断は、誰にも相談せずに決めた。

 現在のリーグのシステムでは、シーズン終盤に、選手やコーチの多くは翌シーズン以降の身の振り方を決めないといけない。大野が決意を固めたのもこの時期だ。その直後、クラブの許可をとったうえで、選手一人ひとりを呼んで決断の経緯を伝えていった。

「6年間、選手にすごく助けられ、良い思いをさせてもらえました。だから、選手全員の前で『やめることにしたから』と発表するのではなく、感謝の気持ちとともに、自らの決断について一人ひとりに伝えなければいけないと感じたのです」

 決断は一人で下したものの、コーチ陣だけにはそこへ至るまでの過程も伝えていた。彼らは固い絆で結ばれている。例えば、彼らのスマートフォンの待ち受け画面は同じものが表示されていた。そこには白と黒で描かれたバスケットボールのイラストに「Be Professional」という言葉が躍る。大野が就任してから掲げ、最後のシーズンまで変えなかったスローガンを表現したロゴだった。

「大切にしている理念をみんなが共有して働けたから、この6年間は充実していたんですよ。僕1人ではなく、彼らがいたからこのチームは作られたのです」

「やめると伝えたとき、僕より先に奥さんが泣いていた」

 6年間変えずにいたスローガンは、選手たちに求め続けてきたテーマでもある。プロとしての責任と目標は2つあると大野は説明してきた。

・試合に勝つこと

・支えてくれる人たちに喜んでもらうこと

「支えてくれる人たち」には、ファンやブースターはもちろん、スポンサー、ホームタウンの船橋市をはじめとした地域コミュニティの人たち、さらには選手やスタッフの家族たちも含まれている。

 大野の家族は、妻の実家がある広島に住んでいる。千葉への単身赴任という形で6年間を過ごしてきた。大野が家族にジェッツをやめると伝えたのも、決断を下した後だった。シーズン中には、子どもを引き連れて1、2回しか千葉を訪れることができない妻の心にも、響くものがあったようだ。

【次ページ】 「やめると伝えたとき、僕より先に奥さんが泣いていた」

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