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“千葉ジェッツを変えた男”大野篤史が明かした、退団の理由と6年間「選手一人ひとりに経緯を伝えた」「僕より先に奥さんが泣いていました」
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byCHIBAJETS FUNABASHI/PHOTO:Atsushi Sasaki
posted2022/06/30 11:01
千葉ジェッツHCを退任する大野篤史。就任6年間で、7つのタイトルを手にした
現役時代の大野の“苦い経験”が生きている
大野がこのチームを率いるうえで、もう一つ、大切にしてきたのが「過程」だった。
例えば、日本のバスケ界ではチームワークを育むために「試合中にチームメイトが転んだら手をさしのべて、起こす」ことをチームルールにしているケースが多い。そういうシーンを集めた映像を制作し、コーチ陣が「必ず、手をさしのべろ!」と指示することもある。
「病は気から」とか「笑う門には福来たる」ということわざがあるように、そうした行動を徹底することで、団結が生まれることも確かにある。ただ、大野は……。
「そういうやり方もリスペクトはしますが、それは『結果』に対してアプローチしていることになる。だから、僕はやりたくない。僕は『過程』にアプローチすることで『結果』を変えたいんです」
それは大野自身の苦い経験があったからだ。
愛知工業大学名電高校時代の大野は「数十年に一人の逸材だから、大事に育てないといけない。日本ではなく、アメリカの大学に進ませたい」と高校の先生に言わしめるほどの選手だった。その先生は大野が高校3年時に亡くなり、彼の想いと言葉の真意も後になって聞かされた。それでも進学した日本体育大学では関東大学リーグとインカレで4連覇。日本代表入りも果たした。
しかし――。
「バスケットボールの世界では、結果を残すための過程というのは『習慣』だと考えています。大学までは良い『習慣』を持っていたのに、そこで結果が出てしまったことに満足して、成長したり、ステップアップする意欲がなくなってしまったんです」
当時の社会人リーグに進んでから、選手としての成長スピードは急速に落ちて、気がつけば、“並みのプレーヤー”になっていた。
「良い『習慣』をなくしてしまったのが、自分のキャリア。その後悔が心に残っているから、選手たちにはそんな後悔をしてほしくないという想いが根底にあるのだと思います」
就任当初は「体育館で選手がマンガを読んでいた」
大野には、この6年間で胸を張れるものがある。
「ブレずにやってきたことです」
その理由はこうだ。
「僕が最初に来たときに、練習前に体育館で選手がマンガを読んでいることがありました。時間はかかりましたが、プロとして必要なことを求め続け、雰囲気は少しずつ変わっていった。練習中に自ら口を開かなかったような選手が、口を開くだけではなく、ハドル(*選手が輪になって話し合いをすること)を組んで話をするようになった。(富樫)勇樹もそうだし、(西村)文男や原(修太)もそうです」