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“千葉ジェッツを変えた男”大野篤史が明かした、退団の理由と6年間「選手一人ひとりに経緯を伝えた」「僕より先に奥さんが泣いていました」 

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ミムラユウスケ

ミムラユウスケYusuke Mimura

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photograph byCHIBAJETS FUNABASHI/PHOTO:Atsushi Sasaki

posted2022/06/30 11:01

“千葉ジェッツを変えた男”大野篤史が明かした、退団の理由と6年間「選手一人ひとりに経緯を伝えた」「僕より先に奥さんが泣いていました」<Number Web> photograph by CHIBAJETS FUNABASHI/PHOTO:Atsushi Sasaki

千葉ジェッツHCを退任する大野篤史。就任6年間で、7つのタイトルを手にした

 では、大野が、バスケットボールの戦術や技術だけではなく、夢や理想の重要性を訴え続けてきたのは何故だったのか。

「リーダーとは、夢を配る人だと思っているからです。ブレずに夢を語り続け、『この人は本気でこういうチームを作りたいのだ』と感じてもらうことが僕の仕事だと思っています」

 だから、Bリーグ開幕から最多の公式戦勝利と、最多のタイトルを勝ち取ってきたという要因についてはこんな風に考えている。

「素晴らしい選手やスタッフに囲まれたから成し遂げられたというのが一番の理由ですが、それだけではなくて。競技面の向上にフォーカスするのではなく、一つの組織として成長することにフォーカスしたから、良い成績が出たと僕は信じています。

『理念をかかげ、魂を持って取り組まなければ何の意味もないよ』と言い続けてきましたが、魂を込めて6年間やってきたご褒美がそういう成績につながったのだと思っています」

大野が最後に語った“ほんの少しの心残り”

 胸を張れる。後悔など、みじんもない6年間。

 ただ、ほんの少しの心残りはある。それは「みなさん」のことを思うときだ。

 2021年6月、Bリーグ初制覇のあとのこと――。

 頂点に立ったら、船橋市で優勝パレードをする。それが「千葉ジェッツふなばし」を正式名称とするクラブに関わる人たちの夢であり、公約だった。コロナがなければ、間違いなく実現していただろう。そんなタイミングについてだけは少し、うとましく思った。

「パレードはしたかったです。ただ、それは僕らがチヤホヤされたかったからではなくて。優勝した瞬間の後にもう一度喜んでもらうために、みなさんと喜びを分かち合うために、パレードをしたかった。僕らはみなさんに支えられて存在しているクラブだと肝に銘じて6年やってきたから……」

 6月30日、日本バスケットボール界の多くの契約の最終日にあたるこの日をもって、6年にわたって運命を共にしてきたジェッツと大野の旅は終わりを告げる。

 ジェッツは新しいHCを迎え入れ、大野は別のチームのHCとして、新たな旅へと歩み出す。

 6年前には予期せぬ結末となったが、6年間で人々を魅了してきた時間が消えてなくなるわけではない。ジェッツに関わってきた人たちの心のなかに、ジェッツを支えて来た人たちの胸の中に、誰よりも希望を配りながら、誰よりも勝ったチームとしての記憶はとどまり続ける。他の誰も成しとげられないことを、やってみせたのだから。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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