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「安西先生、バスケがしたいです」桜木花道、ジョーダン…90年代からバスケを見ていない人にこそ教えたい「今のNBAを見ないなんて残念!」 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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posted2022/06/22 17:00

「安西先生、バスケがしたいです」桜木花道、ジョーダン…90年代からバスケを見ていない人にこそ教えたい「今のNBAを見ないなんて残念!」<Number Web> photograph by AFLO

マイケル・ジョーダン。シカゴ・ブルズは90年代に2度のスリーピート(3連覇)を達成。日本でもNBAブームが起きた

 1990年代とは時代が変わったなと思うのは、ファイナルでのスリーポイントのアテンプト数だ。ウォリアーズは出場した14人中11人がシュートを打ち、そのうち9人が決めている。

 対するセルティックスでは出場した15人のうち、スリーポイントシュートを放ったのは13人で、そのうち12人が決めている。

 ジョーダンが最後の優勝を飾った1998年のファイナル、ブルズは12人中7人、ジャズは12人中5人がスリーを決めていたが、割合が増えているのは数字を見れば分かる。

「身長の高い選手が支配するバスケ。つまらないでしょう?」

 では、なにが変わったのだろうか。

 ここは、前女子日本代表ヘッドコーチの、トム・ホーバス(現在は男子のヘッドコーチ)の言葉を借りよう。

「女子日本代表には、ウォリアーズのようなスタイルを徹底しようと話をしたんです。ボールをよく動かしてフリーになる選手を作り、スリーポイントをどんどん打っていく。2020年を迎えても、世界の女子バスケは時間が止まってたんですよ。1990年代のNBAと同じ。身長の高い選手が支配するバスケ。ぜんぜんつまらないでしょう? 東京オリンピックでは、日本代表のスタイルが面白いし、世界で通じることを証明できたのがうれしかった」

 実際、アメリカのメディアは「日本代表は、ウォリアーズとロケッツの遺伝子を引く子どものようだ」と評したこともあったほどだ。

 では、ウォリアーズのスタイルはどこから生まれたかというと、これは2014年からだ。

 当時、私はNHK BS-1の番組のキャスターを務めていたが、幸運にもウォリアーズのGMであるボブ・マイヤーズ、ヘッドコーチのスティーブ・カー、そしてステファン・カリーにインタビューすることが出来た(チーム広報が素晴らしい仕事をしてくれた)。中でも、カリーの言葉が記憶に残っている。

「2014年、スティーブがヘッドコーチになって強調したのが“ボール・ムーブメント”だった。コーチは前のシーズンまでのウチのスタイルを分析して、パス数がリーグ最低だという数字を示して、『個人の力に頼りすぎている。もっとボールを動かして、フリーの選手を作ろう。みんなで得点をプロデュースするんだ』って話してくれたんだ。実際、一定の数のパスを通した場合の勝率がグンと上がっていた。まったく気づかなかったから、それこそ眼から鱗でね。そこからウォリアーズのバスケットは変わった」

201cmのガード「河田兄が主役級になった感じ」

 これが革命の始まりだった。

 ボールはスピーディに動くようになり、「ファイブアウト」(5人全員がアウトサイドのプレイヤーとして攻める)のフォーメーションによって、コートに出ている全員がオフェンスに参加できるようになった。

 この流れのなかでオールラウンダーの株が上がった。中でもスロベニア出身で、ダラス・マーベリックスでプレーするルカ・ドンチッチはとんでもない選手だ。彼は身長201cmのコンボガード(PGとSG、両方の役割ができる)。2メートル超えで、ガードなのだ。

【次ページ】 201cmのガード「河田兄が主役級になった感じ」

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