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元パンクラス王者の格闘家・大石幸史はなぜ“新宿のパン屋”に異色の転身をしたのか? 「自分でも面白いキャリアだと思う」
posted2022/06/27 17:00
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
Koji Fuse
かつてパンクラスの王者だった大石幸史がパン職人として独立し、今年5月、東京・新宿区に店を構えた。店名はPAIN de CLASSE(パンデクラス)。フランス語で直訳すると「高級なパン」という意味になるが、音で聞くと「パンで暮らす」。珠玉のネーミングといってもいいのではないか。
「'15年に横浜のパン屋で修業を始めたとき、もう店名は決まっていました。パンクラスにいた自分がパン屋を開くという流れは面白いなと」
子供の頃はプロレスラーになりたかった。その思いは黎明期の総合格闘技と結びつき、青山学院大4年のときに『UFC JAPAN』でデビュー。選手晩年はアジア最大のプロモーション『ONE FC』を活動の拠点として、王者にもなった。UFCで始まり、ONEで終わるキャリアなんて、あとにも先にも大石だけだろう。
「自分でも意外と面白いキャリアだと思う。出落ちとしては完璧なところがあります(笑)」
パン屋の1日は早い。大石も朝3時半には店に入る。それから毎日30種類ほどのパンをひとりで焼く。
「終わらないときには、翌日の0時過ぎまで作業していますね。睡眠時間? 営業日はいつも2、3時間くらいですかね」
パン職人としての願い
街に根ざしたパン屋になりたい。それが大石の願いだ。さらにパンを通して世の中における格闘技の存在をもっと身近なものにしたいとも望む。その一環として、店先には子供でも手を伸ばせば触れる場所にかつて腰に巻いたパンクラスとONEのチャンピオンベルトを置く。
「パン屋って誰でも気軽に入ってくるけど、格闘技のジムだとそうはいかない。パンを作るようになってから、いつかはこの広き門と狭き門をつなげたいと思っていました」
その一方で格闘技とパン作りには共通項もあると捉える。
「試合では、『○○がダメだったら、××をしよう』という瞬時の判断が重要になってくる。実際切り換えの早い選手は強い。人間としても、そうですよね。パンも生地作りや焼き加減で失敗すると相当落ち込む。そこからどうやって立ち直るか。自分なりにアレンジをしていかないといいものはできないんです」
大石にとってパン職人は第2の人生ではない。対戦相手がパンに代わっただけで格闘の日々は続いている。