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松田直樹「松本でまだまだやるべきことが…」“マツがいた年”から11年、Jリーグ初の信州ダービーに見た「受け継がれる想い」とは
text by
宇都宮徹壱Tetsuichi Utsunomiya
photograph byTetsuichi Utsunomiya
posted2022/05/25 11:01
故・松田直樹が出場した2011年4月30日の信州ダービー。同試合ではホームの松本山雅FCが劇的な逆転勝利を収めた
JR篠ノ井駅から出るシャトルバスに乗車して、キックオフ2時間前に試合会場がある南長野運動公園に到着。まず目に飛び込んできたのが、呆れるほど長い待機列だった。長野の代表的な観光地である善光寺が、7年ぶりの御開帳ということで大いに賑わっていたが、南長野の行列は体感的に10倍以上あった。
この日、長野Uスタジアムの公式入場者数は1万3244人。それまでの最多記録は1万377人だったから、実に3000人近く更新したことになる。試合そのものは、両者共に何度かの決定機を作りながらもスコアレスドロー。それでも、ピッチ上では極めてインテンシティの高いゲームが展開され、スタンドでは手拍子や太鼓に合わせてフラッグやマフラーが勇壮に振られていた。まさに、ダービーと呼ぶにふさわしい光景である。
奇しくも、試合が行われた5月15日は「Jリーグの日」。Jリーグが開幕した1993年当時、長野県を含む北信越地域はブームの「蚊帳の外」にあった。あれから29年。今では北信越5県のうち4県にJクラブがあり、信州ダービーはホームもアウェーも球技専用スタジアムで行われる。
これほど立派な施設に、これほど多くの観客が詰めかけ、これほど熱量のある試合が、地方の3部リーグで開催される。これほど「Jリーグの日」にふさわしい試合が、他にあっただろうか?
Jリーグで初めて実現した信州ダービーに、私は新たな時代の到来を見る思いがした。Jリーグ以前の対戦も、松田直樹の生前のプレーも知らない世代が多数派となった、2022年の信州ダービー。それでも、マツが感銘を受けたという「積み上げてきた人たちの想い」は、確実に今に受け継がれている──。
その事実を確かに感じ取ることができた、11年ぶりの信州ダービー取材であった。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。