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松田直樹「松本でまだまだやるべきことが…」“マツがいた年”から11年、Jリーグ初の信州ダービーに見た「受け継がれる想い」とは
text by
宇都宮徹壱Tetsuichi Utsunomiya
photograph byTetsuichi Utsunomiya
posted2022/05/25 11:01
故・松田直樹が出場した2011年4月30日の信州ダービー。同試合ではホームの松本山雅FCが劇的な逆転勝利を収めた
まず松本側。彼らは反町康治監督時代に2度、J1という高みを経験していただけに、J3で同郷のライバルと対戦することに少なからずの恥辱を感じていた。一方の長野側。彼らは松本との対戦で、常に自分たちが「引き立て役」に回っていたことに屈辱を覚えていたのである。
恥辱と屈辱──。こうしたネガティブな感情に加え、両サポーターとも信州ダービーを知らない世代が多数派となっていたことも、状況を見えにくくさせていた。果たして、2022年の信州ダービーは、往時の盛り上がりを見せるのであろうか?
「松田直樹がいた」2011年の信州ダービー
ここで、最後に信州ダービーが開催された、2011年にフォーカスしてみることにしたい。2011年といえば、東日本大震災の年として、多くの日本人に記憶されている。国内のサッカーは4月23日まで完全にストップ。そんな中、わずかなフットボールの香りを求めて、少なからぬJクラブのサポーターが足を運んだのが、東京・池袋の映画館でほそぼそと上映を続けていた、映画『クラシコ』だったのである。
その結果として、それまで当事者かマニアの間でしか話題に上らなかった「信州ダービー」が、次第にサッカーファンの間でも知られるようになっていく。と同時に「あ、マツが移籍したJFLのクラブね!」という認識も、次第に広まっていくこととなった。マツとはもちろん、16シーズン所属した横浜F・マリノスを退団していた元日本代表、松田直樹のことである。
実のところ11年前の信州ダービーは、私の中では松田直樹の記憶と分ちがたく結び付いている。松本でプレーするマツを最初に観たのは、ホームのアルウィンで行われた信州ダービー。そして彼がプレーする最後の姿を観たのもまた、アウェーの南長野で行われた信州ダービーだったからだ。
4月30日に行われたホームゲームでは、松田直樹は3バック中央のポジションで出場。試合は長野に先制されたものの(決めたのは前出の土橋だった)、前半のうちに松本が追いつき、後半アディショナルタイムでの劇的な逆転ゴールで勝利した。