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高木美帆「顔が死んでいたけど大丈夫?と連絡が…」“考え抜いた北京五輪”知られざる舞台裏を告白「最後に、もうこれ以上はできないと」

posted2022/05/22 06:00

 
高木美帆「顔が死んでいたけど大丈夫?と連絡が…」“考え抜いた北京五輪”知られざる舞台裏を告白「最後に、もうこれ以上はできないと」<Number Web> photograph by Kosuke Mae

北京五輪で4つのメダルを獲得した高木。1000mでは自身初となる個人競技での金に輝いた

text by

矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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Kosuke Mae

本日5月22日はスピードスケート・高木美帆選手の28歳の誕生日。北京五輪では、迷いや苦悩、アクシデントにも直面しながら、4つのメダルを獲得しました。万能スケーターの核心に迫った雑誌Numberの記事を特別にWeb公開します。 <初出:Sports Graphic Number 1049号(2022年4月14日発売)、肩書などすべて当時>

 日本の女性アスリートとして数々の歴史を塗り替えた北京五輪から約1カ月半。桜並木の前で、高木美帆は柔らかな表情を浮かべていた。

「きょうはいっぱい話しましょ」

 高木の声で、濃密だった北京での日々が一気によみがえった。

 開会式翌日の3000mから始まり、2月7日の1500m、12日のチームパシュート1回戦、13日の500m、15日のチームパシュート準決勝と決勝、17日の1000m。5種目7レースに挑んだ13日間は迷いや苦悩の連続だった。好結果の後、アクシデントで悲嘆を味わう時もあった。そして、最後は金メダルの歓喜に包まれながら涙した。

開幕直前のデビッドHC離脱には…

 高木にとって3度目の五輪は、波乱のスタートとなった。開会式2日前の2月2日、ナショナルチームのヨハン・デビットHCが新型コロナウイルス陽性となり、チームを離脱したのだ。

「コロナに関しては、いつ誰が罹ってもおかしくないという覚悟がありましたから、『どうしよう?』とはなりませんでした」

 とはいえ、2015年から7年間にわたって近くにいたコーチが離脱したのだから、影響は当然あった。高木にとってヨハンHCは、自身の細かな変化を映し出す鏡のような存在だった。例えば、ウォーミングアップの時に陸上で行なうカーブワークの疑似練習。腰に紐を巻いた選手をコーチが引っ張るトレーニングには、その日の調子を知るための情報が詰まっている。ミリ単位のカーブワークを誇る高木にとっては、コーチの口調や表情も調子を計るバロメーターの一つ。つねに人一倍感度の高いセンサーを駆使しながら修正すべき課題を察知してきた。しかし、「それがポコンとなくなった」のだ。

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