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高木美帆「顔が死んでいたけど大丈夫?と連絡が…」“考え抜いた北京五輪”知られざる舞台裏を告白「最後に、もうこれ以上はできないと」
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byKosuke Mae
posted2022/05/22 06:00
北京五輪で4つのメダルを獲得した高木。1000mでは自身初となる個人競技での金に輝いた
3000mで6位…募った焦り
表彰台に上がる実力があった3000mで6位に終わると、調子が良くないことをはっきりと悟ることになった。「世界記録を持ち、W杯で勝ち、自分の中で守りたいものを強く持っている1500m」は2日後。焦る気持ちが募った。
「3000mのレース直後は、あと2日でどうにかしなければいけないと考えながらも、方法が見つかっていませんでした。インタビューで歯切れが悪かったのはそのせいです。テレビを見ていた兄から、“顔が死んでいたけど大丈夫?”と連絡が来たほどでした」
ただ、それほど苦しみながらも1500mでは平昌五輪に続いて銀メダルを獲った。やはり、高木は強い。だからこそ、表彰式でも会見でも表情は硬いままだった。
「1500mでは金を獲れなかった悔しさと、決して良くはない状態であそこまで滑れたことを評価したいという両方の気持ちがありました。ただ、あまり話しすぎると感情が表に出てきてしまうのではないかと、セーブしていたように思います」
どう戦うか?高木が決めていた「2つの戦略」
長丁場となる北京五輪を戦い抜くための戦略として、高木は2本の「柱」を自分の中に設定して大舞台に臨んでいた。
「一つは、五輪本番に調子を合わせるということ。もう一つは、もし調子が合わなくても攻める姿勢を崩さないということ。それらを踏まえて振り返ると、状態を上げきることはできなかったけど、1500mに関しては出せるところは出し切れたと思っています。最後まで『もうダメだ』と思うことなく滑り切れたからです」
“真のアスリート”と“完璧を求める者”はほぼイコールでつながれている。その中でも高木は寸分の隙がないほどの完璧主義者だ。トレーニングでは少しの妥協も見せない。誰よりも自分自身を冷徹に追い込むのが「高木美帆」である。