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高木美帆「顔が死んでいたけど大丈夫?と連絡が…」“考え抜いた北京五輪”知られざる舞台裏を告白「最後に、もうこれ以上はできないと」
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byKosuke Mae
posted2022/05/22 06:00
北京五輪で4つのメダルを獲得した高木。1000mでは自身初となる個人競技での金に輝いた
1500m、500mで銀。そして…
ただ、レース本番ですべての項目がいつも100%であるとは限らない。むしろすべてが100%の時はないと考えるのがトップアスリートのリスクマネジメントだ。高木は、'20年世界距離別選手権の1500mのスタート前に調子が上がらず不安になった時、コーチから「全部がバッチリ合わなくてもマックスをぶつけるんだ」と発破をかけられたことを、北京のリンクで思い出していた。勝負に挑む時に最後のワンピースとなる、言葉による鼓舞。それを自分の内側に持ち合わせていた。
懸ける思いの強かった1500mを終え、チームパシュートの1回戦で調子が上向いていることを感じ取って、迎えた2月13日の朝。ヨハンHCが現場に戻るという連絡が来た。手続きが必要なため、レースに間に合うかどうかは微妙だったが、500mは他の種目より遅い22時に試合開始だったため、どうにか間に合った。通常のリズムを取り戻した高木は、遅い時間のレースという調整の難しさも乗り越えて、銀メダルを獲得した。
500mは北京五輪で出場した5種目の中で唯一、主要大会での実績が少ない種目だった。昨年12月にあった北京五輪代表選考会で出場権を獲得した際に、レース数の負担がある中で出場するか否かを熟考したのはそれが理由だ。ただ、北京の試合日程を考えると、500mのレースを挟まない場合、1500mの後からチームパシュート決勝まで約1週間、チームの練習が続くことになる。高木は個人種目の500mに出ることにより、チームパシュート決勝から1000mへ向けての切り替えがスムーズになるという戦略も冷静に描いていた。
「メダル4個は運があったなと思っていて」
チームパシュートでは姉・菜那の転倒というアクシデントで連覇を逃して涙したが、1000mでは渾身の滑りで自身初の個人種目の金メダルを手にした。500mを滑ったことによって呼び起こされたスプリント種目のスタートの感覚も1000mにつながった。13日間の戦いを高木自身がトータルパッケージでデザインし、遂行する力を持っていたことが、メダル4個という快挙を実現させたのだった。
北京五輪では5種目に出場することへの注目度も高く、高木は挑む理由を聞かれるたびに「多種目に出ることは目的ではない」と答えていた。改めて真意を尋ねると、次のように説明した。