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甲子園の風BACK NUMBER
《甲子園勝率.853の名将》中村順司75歳が語る“常勝・PL学園と今年の大阪桐蔭の共通点”とは「負けた桑田、号泣の清原を見て…」
text by
間淳Jun Aida
photograph byHideki Sugiyama/Jun Aida
posted2022/04/24 11:02
大阪桐蔭・西谷浩一監督と中村順司氏。高校野球が誇る名将だ
「自分たちには力がない」
昨年のチームには松浦慶斗投手と池田陵真外野手、投打の柱があった。ともに、卒業後はプロ入りしている。だが、そのチームでも春は初戦、夏は2回戦で甲子園を去っている。
当時、スタンドから声援を送っていた星子主将らは「あの先輩でも勝てないのか」という強い危機感から新チームをスタートしている。中村さんが今の大阪桐蔭と重ね合わせたのは、立浪和義さんが主将を務めてPL学園初の春夏連覇を果たした時のチームだった。
「桑田、清原たちの3年生がセンバツで伊野商業に負けて最後の夏に取り組む姿勢を、当時1年生だった立浪や片岡(篤志)たちは見ていました。こんなにすごい先輩たちでも勝てないのが甲子園。あの先輩たちが相当な練習をしないと全国制覇できないと強烈に写ったと思います。立浪たちの代のチームは、今回の大阪桐蔭に似ているところがあります」
立浪世代は自分たちの力を過信しなかった
1985年のセンバツ、新3年生となった清原さんや桑田さんを擁したPL学園は、伊野商業に準決勝で敗れた。後に西武でプレーする、伊野商のエース渡辺智男さんに3つ三振を喫した清原さんは試合後に号泣。学校に戻ると、すぐにバッティング練習を始めたという。高校最後の夏は必ず甲子園で優勝する。その決意と執念は、立浪さんら当時の1年生に痛いほど伝わった。
高校1年生にとっての3年生は、ただでさえ絶対的な存在。しかも、桑田さんや清原さんのように甲子園の伝説にもなっている選手であれば、言うまでもない。立浪さんたちは自分たちの力を過信しなかった。相手に隙を見せず、1点の重みをチームで共有した。
象徴的な試合がある。
立浪さんが主将となった1987年のセンバツ、PL学園は決勝で関東一と対戦した。1点リードの7回裏、ノーアウト二、三塁の場面だ。
4番・深瀬猛さんがカウント2ストライク1ボールから、スクイズを決めた。深瀬さんは、この打席までに先制タイムリーを含む2本のツーベースを放っていた。続く打者も、1ストライクからスクイズ成功。気落ちする相手に畳みかけたPL学園は7-1で勝利して全国の頂点に立った。中村さんは試合後のインタビューで、こう語っている。