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壮絶な親子ゲンカも…荒川の下町育ち・鈴木誠也が母を泣かせた“ボロボロのアンダーシャツ”「やんちゃだけど不良ではなかった」親友が語る素顔
posted2024/04/12 17:01
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by
Hideki Sugiyama
シカゴ・カブス加入3年目となる今季も好調を維持する鈴木の原点に迫った、Sports Graphic Number911号(2016年9月23日発売)掲載の「誕生秘話 鈴木誠也が“神る”まで。」を特別に無料公開します〈全2回の前編〉。※肩書きや年齢などはすべて初出時のまま
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――かねてより期待されていた若鯉が今季、ついに才能を爆発させた。荒々しく走攻守に躍動する姿は、現代の若者像からかけ離れている。その闘争心はどこで育まれたのか、“神ってる”22歳が生まれた東京の下町・荒川区町屋での、野球を通じた成長物語。
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広島から約680km離れた荒川区町屋。東京で唯一の路面電車、都電荒川線の走る下町。自転車で10分の場所にはかつて“光の球場”と呼ばれた東京スタジアムがあり、梶原一騎の名作『巨人の星』で星一徹・飛雄馬親子が住んでいた町でもある。
「この頃は町屋も元気がないんですよ。もともと町工場が多く、草野球チームもたくさんあったので、店にも野球好きが集まってきたんだけどね。今は不景気から閉鎖する工場が増えて、人も減ってしまったよね」
駅前でスポーツの珍品貴品を取り扱う「流体力学」を営む店主・前野重雄は、そう言って寂しそうに笑った。
「昔、町屋駅のすぐそばにはね、この町のランドマーク的な存在の喫茶店があったんですよ。その店が今でも残っていれば、また違ったのかもしれないですけどね」
「ただいま! 生姜焼き作って!」
京成電鉄町屋駅。その改札からすぐ脇のガード下の空地にはかつて「MACHIYA」という古い喫茶店があった。
高度経済成長期直前の昭和32年に開店したその店は、町屋に無数存在した町工場の工員たちの憩いの場だった。マスターの鈴木宗人は、17歳から厨房に立つ筋金入りの野球好き。看板メニューの生姜焼きは、腹を空かせた工員と、午後になると「ただいま! 生姜焼き作って!」と飛び込んでくるこの店の子供の大好物だった。
子供の名は誠也といった。
父・宗人が小学生の頃から決めていたその名は「野球が上手くて、カッコよくて、花形満のような華やかな存在」と憧れていた野球チームの先輩の一字に肖ると同時に『仲間から名前で呼んでもらえるように』という願いが込められた。誠也は元来の人懐っこい性格もあって、親の願い通り店を訪れる大人達から大層可愛がられて育った。