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日本で“プロ野球”史上初の試合があったスタジアムはどこ? 「あの沢村栄治がボコボコに打たれた」愛知の“消えた野球場”、今は何がある?
posted2022/04/27 17:02
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph by
Masashi Soiri
2022年のプロ野球がはじまってもうひと月が経った。すでにいろいろな出来事があって、野球ファンはすっかりプロ野球のある毎日にどっぷりと浸かっている。
で、そのプロ野球、セ・パ12球団は北海道から九州まで、全国各地に散らばってホームタウンを持っている。首都圏に偏っている気もするが、まだ寒い3月末から仙台で楽天の試合が行われるし、九州・福岡にも天下無双のソフトバンク。大阪に名古屋、札幌、広島……とひととおりプロ野球のチームがあって、その町の人たちを熱狂させてくれている。
“プロ野球”史上初の試合が行われた球場はどこ?
さて、ここで問題である。いまのプロ野球に通じる日本野球連盟に属した球団同士がはじめて試合をしたのはどの町のどの球場だったのでしょう?
後楽園やら甲子園やら、はたまた神宮やらといった歴史と伝統の球場が思い浮かぶが、どれも違う。正解は、愛知県愛知郡鳴海町(現在は名古屋市緑区)にあった鳴海球場である。1936年2月9日のことであった。
細かいことをいうと日本のプロ野球チーム同士の対戦は1923年にソウルで行われたらしいが、そのときの球団はどちらもほどなく消滅しているから、1936年の鳴海球場での試合が事実上初のプロチーム同士の試合といっていい。そしてそのときから、プロ野球の歴史が刻まれはじめたのである。
その試合はどのようなものだったのだろうか。
戦ったのは東京巨人軍と名古屋金鯱軍。巨人軍はアメリカ遠征を控えていて、いわば壮行試合のような位置づけだった。巨人軍には、ご存知伝説のまた伝説の名選手が勢揃い。あの沢村栄治を筆頭に、のちの名将・水原茂や好投手スタルヒン、日本で初めて三冠王に輝いた中島治康らが名を連ねている。対する金鯱軍はちょっと小粒だが、戦後中日やロッテで監督を務めて1970年にはロッテを優勝に導いた濃人渉の名前が見える。
金鯱軍は名古屋新聞社(のちの中日新聞社)を親会社として愛知県をホームタウンに結成されたチームで、名古屋鉄道鳴海駅にほど近い鳴海球場を本拠地としていた。なので中日ドラゴンズのルーツかと思いきや、同じ時期に新愛知新聞社(こちらものちの中日新聞社)を親会社とする名古屋軍が結成されており、ドラゴンズはこちらが源流。金鯱軍は戦時中に翼軍(東京セネタース)と合併して大洋軍となり、西日本鉄道を親会社とする西鉄軍へと変遷し、1943年に解散している。