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“奥川恭伸の恩師”退任に、選手の涙が止まらなかった理由…「最初はヘラヘラしてると思ったけど」”必笑”に導かれた星稜・林監督(46)の幸せな野球人生
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/03/29 17:04
ベスト8進出も、国学院久我山に敗れた星稜。今大会を最後に勇退する林和成監督が残したモノとは
コーチ時代から自分が参考になると思えば積極的に話を聞き、たとえ遠方であったとしても「車で行ける範囲ならどこでも」と、強豪校への練習を数多く見学した。
転機となったあの“8点差逆転劇”
監督になる前年のことだ。福島県の強豪、聖光学院に飛び込みで訪問すると、監督の斎藤智也と部長兼コーチの横山博英から教育の奥深さを教わったという。
「『やり方』ではなく『あり方』なんですね。生徒たちに『こう伝えなくては』と指導者が曖昧にするのではなく、『こう伝えるべきだ』と明確にして接することが大事だと」
この気づきは、林の指導者としての思考を柔軟にさせる一助となった。
今も星稜のバックボーンとなっている“必笑”がそうだ。
始まりは、14年のエース・岩下大輝の世代のスローガンだったのだが、林の心証は芳しくなかった。「最初はなんか、ヘラヘラしているイメージがあったというか、少しばかり抵抗がありました」と感じた林が考えを改めるようになったのは、この年の夏の石川大会決勝で9回裏に8点差をひっくり返す大逆転劇で甲子園を決めたことだった。
「スローガンが“必笑”でなかったら、あの試合はなかったと思います。最後まで生徒が前向きになれる『言葉の力』は大きいんだな、と。今でも代ごとにスローガンは変わりますけど、“必笑”がチームの柱になっています」
それは、現キャプテンである佐々木の、「“必笑”は常日頃からチームで意識しています」の言葉からも裏付けられている。
昨夏は県ベスト8で出場辞退…
林が「本当に弱いチームからスタートした」という今年の3年生は、「前を向く姿勢」を色濃く体現した世代だったのかもしれない。
全国の高校球児たちと同じように、星稜の選手も入学してから新型コロナウイルスに翻弄され続けた。一昨年夏は甲子園の中止に伴い、各地方大会も独自開催となり、昨夏も県大会ベスト8で複数の部員に陽性者が出たことで出場辞退の憂き目に遭った。そして、センバツ代表校の発表を控えていた今年1月も、石川県の感染拡大の影響で野球部も活動停止となり、全体練習ができなかった。