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“奥川恭伸の恩師”退任に、選手の涙が止まらなかった理由…「最初はヘラヘラしてると思ったけど」”必笑”に導かれた星稜・林監督(46)の幸せな野球人生
posted2022/03/29 17:04
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Hideki Sugiyama
三塁側アルプススタンドの黄色いメガホンが、寂しそうに揺れていた。応援団に一礼すると、ますます涙が止まらなくなった。
「林監督を『日本一の男にする』という想いが強くて。監督と野球ができるのは甲子園で最後だったんで、涙が出てしまいました」
敗戦の直後からむせび泣いていた星稜のキャプテン・佐々木優太が、試合後のオンライン会見で気丈に受け答えをする。
マーガード、号泣の理由
その最中も嗚咽が止まらなかったのが、自らのピッチングで逆転を許してしまったエースのマーガード真偉輝キアンだ。
「申し訳ない気持ちでいっぱいです……」
口を開くと、謝罪の言葉しか出なかった。
「もっともっと(林監督と一緒に)野球をやりたかったんですけど……自分のせいで負けてしまって、本当に申し訳ないですし……。でも、林先生と3試合を戦えて大きな財産になったと思っています」
準々決勝の国学院久我山戦を最後に、星稜の林和成が監督を退任した。
キャプテンやエースをはじめチームが「すみません……すみません」と悲嘆にくれるなか、林は選手の背中を抱きかかえ、あるいは肩を抱きよせながら、前を向かせた。
「お前たちは悪くない。これからだ」
選手たちの戦いを見届けた林は、試合後に穏やかな表情で11年の監督人生を綴った。
「監督になった時に『10年で10回は甲子園に出よう』と思っていましたが、春夏で20試合以上もやらせてもらいまして、十分すぎるほど選手たちに助けてもらいました」
名門を復活させた林監督の実績と功績
林は名門・星稜を復活させた功労者だった。
大学卒業後に母校でもある星稜のコーチとなり2004年に部長、11年4月に監督となった。社会科(地歴・公民)の教師として教壇に立ちながら、13年夏に6年ぶりに甲子園に導き、奥川恭伸がエースだった19年には準優勝。8度の甲子園で13勝を挙げた。
林が監督として星稜に遺したのは実績だけではなかった。恩師でもある山下智茂名誉監督から受け継いだ「人間形成の野球道」を、より昇華させたことも大きな功績だった。