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岡田武史「批判する人は成長しない」「(カズ落選に)逃げ隠れする気はない」“解任論のバッシング→W杯16強”勝負師の率直発言
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/03/29 11:04
南アフリカW杯予選の日本代表を率いた頃の岡田武史。2度W杯へと導いた指揮官は、彼しかいない
日本は1勝1分けのスタートを切ったものの、ホームの韓国戦で痛恨の逆転負け。続くカザフスタン戦では終了間際に同点ゴールを許し、1-1の引き分けで勝ち点2を失う形となった。
当時のアジア枠が「3.5」とはいえ、4試合終了時点で「1勝2分け1敗」は、後のロシアW杯、カタールW杯予選を思えば絶望的な状況でもなかったと言えるが……韓国戦での守備的な采配など、加茂監督への批判は苛烈なものだった。結果、長沼健会長ら日本サッカー協会は加茂監督から、当時41歳の岡田へと体制変更したのだった。
コーチ時代の岡田はいわゆる兄貴分的存在で、選手との距離感は近かった。しかし監督就任から一転、チームの結束を考えた際に“異分子”になりかねない選手を外す決断を下すなど、一線を引いたのだという。
岡田自身も森保監督との違いについて、こう語っている。
「俺の真似をする必要なんて全然ないよ。俺は徹底して許さない、みたいなところがあるから、選手の個性を殺してしまうこともあるんだ。ポイチは選手の良さを活かしながらも、ひとつの方向に持っていけるから全体がイキイキとしてくる」
岡田も森保監督も日本をW杯に導いた。スタイルは違えど、それぞれの指導法が選手たちの士気を上げた側面はあるのだろう。
マスコミが叩いてくれたから、いろんなことを
<名言2>
(マスコミが)叩いてくれたから、いろんなことを考えることができたし、のたうち回ることもできた。
(岡田武史/Number750号 2010年3月18日発売)
◇解説◇
フランスW杯こそグループステージ3連敗に終わったものの、日本を初のW杯に導いたことで「岡ちゃん」ブームが起きるなど、岡田に対して称賛と感謝の声が多かったのは確か。それとは対照的だったのは南アフリカW杯までの第2期だ。
2007年秋、当時の代表監督であったイビチャ・オシムが病に倒れ、日本は新たな監督を招聘せざるを得ない状況となった。この緊急事態に白羽の矢が立ったのは岡田。南アフリカW杯を目指すチームを引き継ぎ、再びアジアの舞台で戦うことになったのだ。当時、オシムのチーム構築は試行錯誤ありながらも成長の跡が見られ、期待値も大きかった。それだけに、第1期とはまた違う重圧が岡田にかかったのは容易に想像できる。
最終予選を4勝3分け1敗で2位通過した日本だったが……消化試合となったラスト2試合、カタールにホームで引き分け、敵地オーストラリア戦で敗戦するなど、岡田は批判にさらされた。そして厳しい声が増幅したのは、W杯イヤーとなる2010年だった。