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岡田武史「批判する人は成長しない」「(カズ落選に)逃げ隠れする気はない」“解任論のバッシング→W杯16強”勝負師の率直発言
posted2022/03/29 11:04
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Takuya Sugiyama
<名言1>
何か知らないけど、この人に付いていこうと思わせる。一番大事なのは、そうした信頼を作っていくことなんじゃないかな。
(岡田武史/Number1036号 2021年9月24日発売)
◇解説◇
カタールW杯アジア最終予選、森保一監督率いる日本代表は怒涛の6連勝で7大会連続となるW杯切符を手に入れた。しかし序盤戦、サムライブルーに向けられる視線は明らかに冷たいものだった。初戦オマーン戦で終盤に痛恨の失点を喫し、0-1と黒星スタート。かねてより火種としてあった“森保監督への懐疑論”が噴出した。
続くアウェー(カタール開催)の中国戦では大迫勇也のゴールを守り切り、1-0で勝ち点3を確保した日本代表。その直後のタイミングで、岡田氏は森保監督とのオンライン対談に臨んだ。
「ポイチも引き受けたからには腹を括っていると思うけど、代表監督のプレッシャーは大変だろう?」
このように後輩を慮りながら、自身の経験談を惜しむことなく話していた。
ハンス・オフトが率いて以降、日本代表が本当の意味で世界を目指す戦いに打って出てから30年が経つが……この座に2期就いたのは岡田しかいない。そしてどちらの就任経緯も、青天の霹靂だった。
30代にして日本代表のコーチになった
そんな岡田の経歴を、少し振り返ってみよう。
岡田は日本リーグの古河電工(ジェフ千葉の前身)でDFとして活躍し、日本代表でも24のキャップを積み重ねた。引退後ドイツにコーチ留学するなど、その戦術眼を買われた岡田。いわゆる「ドーハの悲劇」をテレビ中継の解説者として目の当たりにして、現日本サッカー協会会長の田嶋幸三とともに打ちひしがれたシーンもあった。
岡田は95年に加茂周監督体制のコーチとなった。岡田は当時30代……現代で言えば中村憲剛や内田篤人らが抜擢されるようなものと考えれば、指導者としてどれだけ期待されていたかが分かるだろう。
そんな岡田にとっての大転機は、日本がフランスW杯最終予選を戦う1997年秋に訪れた。
加茂監督更迭である。