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J8年間で公式戦出場ゼロ…異例のサッカー人生を送るGKに刻まれた水戸の記憶と浦和の熱狂「それを新宿でやることに価値がある」
 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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posted2022/03/12 17:01

J8年間で公式戦出場ゼロ…異例のサッカー人生を送るGKに刻まれた水戸の記憶と浦和の熱狂「それを新宿でやることに価値がある」<Number Web> photograph by Criacao

今季からJFLに昇格を果たしたクリアソン新宿の守護神・岩舘直。新シーズンはリーダーとしての役割も担う

 そんな岩舘に思わぬ吉報が飛び込んできたのは、水戸に加入して2年半が経った2014年夏のことだった。

 浦和レッズから期限付き移籍のオファーが届いたのである。

 もっとも、この時点で岩舘の公式戦出場数はゼロ。だから、理解できなかった。

「第2GKの笠原と自分を間違えているんじゃないのかなって思いました。でも、水戸の強化部長から『いや、おまえだよ』と。『浦和がビッグクラブたるゆえんを学んで、持ち帰ってくれ。そのために送り出すんだ』と言われて。そういう目線でクラブのことを見て、吸収できるものは吸収して、還元しないといけないなって」

 最初は半年の期限付き移籍だったが、1年延長され、さらに完全移籍に移行し、浦和には5年半在籍することになった。

 その間、ついに公式戦出場記録に数字が刻まれることはなかったが、それにもかかわらず、選手会長にも任命され、西川周作を中心とするGKチームの一員として長くいられたのは、岩舘の人間性やチームメイトへの影響力、練習に取り組む姿勢が評価されてのことだろう。

 在籍中は少しでも成長することを目標に掲げ、自信がついてきた3年目以降はピッチに立つことを切望して努力を続けてきたが、もうひとつ継続したことがある。

 水戸から持ち帰ってほしいと要望された「ビッグクラブたるゆえん」を見続けること――。

「スタジアムは熱気に溢れていたし、街の至るところでレッズが感じられた。浦和は本当にサッカーの街で、クラブの影響力をすごく感じました。僕が在籍中にACLの決勝に2回行ったんですけど、サウジアラビアでも、中国でも、韓国でもレッズは認知されていて、本当にすごいことだなと。こういうクラブがもっと増えたら、日本のスポーツ文化も変わると思ったし、こういうクラブが地域活動にもっと力を注いだら、街に与える影響はもっと大きくなるだろうなって」

セカンドキャリアへの問題意識

 その一方で、8年間のプロ生活、いや、アルテ高崎時代も含めて12年間のキャリアにおいて、多くの選手の引退を目の当たりにしてきた。

「レッズにはサッカーで成功している選手、将来有望な若手が多いですけど、高崎、水戸は『ここで活躍できなかったら、サッカーを辞めるしかない』という覚悟を持った選手ばかりで、セカンドキャリアの問題に直面していた。トップのクラブの地位がもっと上がれば、全体的に底上げされるでしょうし、サッカーの狭い世界だけで評価されるのではなく、地域からもっと必要とされるような存在になれたら、また違うんじゃないかって……」

 漠然とではあるが、岩舘の中でそんな問題意識が芽生えていた。

 だから、浦和を離れることになったとき、いくつか届いたオファーの中で、クリアソン新宿にはピンと来るものがあった。

「クリアソン新宿は条件面の前に、まず理念の話をされたんですよね。サッカーを使って、社会に、新宿の街に人々のつながりや豊かさを与えられる存在になりたいと。その話を聞いて、ぼんやりと考えていたことの答えが見つかるかもしれないなって。Jリーグの試合に出るという目標を掲げてきましたけど、その目標で次のチームを選ぶのは小さいというか。もっと新しい挑戦をしたほうがいいんじゃないか、クリアソン新宿なら面白い挑戦ができるんじゃないかって」

 こうして2020年から、社会人とサッカー選手の2足の草鞋を履いて、新宿の街を駆け回るようになるのだ。

【次ページ】 「新宿でやることに価値がある」

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