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Jをめぐる冒険BACK NUMBER
J8年間で公式戦出場ゼロ…異例のサッカー人生を送るGKに刻まれた水戸の記憶と浦和の熱狂「それを新宿でやることに価値がある」
posted2022/03/12 17:01
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Criacao
人生は、何が起こるかわからない。
プロアスリートなら、たったひとつのプレーがキャリアを、あした目の前に広がる世界を、一変させることもある。
もっとも、クリアソン新宿に所属するGK岩舘直(33歳)の辿ってきたサッカー人生は、そうした勝負の世界においても極めて稀有なものだろう。
所属していたアマチュアクラブが消滅した2年半後には、日本で一番大きなクラブに移籍し、5年半も在籍することになったのだから。しかもその8年の間、公式戦のピッチに立つことがなかったにもかかわらず。
「ひょんなことで偶然つながっただけなんです。本当に運が良かった。そのひと言に尽きると思います」
拾ってもらう形でJFLアルテ高崎へ
予想だにしない軌跡を描いた自身のサッカー人生を振り返るとき、岩舘の脳裏に浮かぶのは高校2年のときにかけてもらった言葉だ。
「プロになることが夢でしたけど、中学、高校と進むうちに、自分にそこまでの力はないなって。でも、高2のときに、(神奈川県の旭)高校の先輩で、(横浜F・)マリノスのアカデミーのGKコーチをされている方がたまたま僕の試合を見て、『可能性はある。諦めるな』と言ってくださったんです」
心の奥深くにしまっていた夢を引っ張り出した岩舘は、本気でプロを目指し、トレーニングに励む。
しかし、現実は甘くない。Jクラブのスカウトが視察に来た試合で本来のプレーを見せられず、ツテを頼って参加したベガルタ仙台の練習では、あまりの実力差に打ちのめされた。
そんな岩舘を救ったのも、高校の先輩との縁だった。
J2のひとつ下のカテゴリーであるJFL(※現在はJ3の下に位置する)のアルテ高崎に所属していた先輩の口利きで練習参加し、拾ってもらうような形で加入することになったのだ。
アルテ高崎はプロクラブでも、企業クラブでもない。つまり、プレーすることで収入を得られるわけでも、いわゆる親会社に就職できるわけでもない。理解のある会社で働いたり、アルバイトをしたりして収入を得ながら、サッカーをすることになる。
だが、サッカーを続けられることが大事だった。
「家庭の事情で大学進学は考えられなかったので、サッカー選手になるか、なれなければ就職するか。ただ、自分としてはサッカーを辞めたところで明確に何をしたいということがなかったので、ここならプロになるきっかけを掴めるかもしれないし、サッカーを続けながら将来のことを考えようと思って。でも、1年でクビになっちゃうんですけどね(苦笑)」
次の所属先を探したものの、JFLのチームの構想外になったわけだから、声をかけてくれるのはさらに下の地域リーグのチームしかなかった。
そんなとき、今度はアルテ高崎を運営する会社が創設した大学のサッカー部の監督が手をさしのべてくれた。