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Jをめぐる冒険BACK NUMBER
J8年間で公式戦出場ゼロ…異例のサッカー人生を送るGKに刻まれた水戸の記憶と浦和の熱狂「それを新宿でやることに価値がある」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byCriacao
posted2022/03/12 17:01
今季からJFLに昇格を果たしたクリアソン新宿の守護神・岩舘直。新シーズンはリーダーとしての役割も担う
「『大学でプレーしながら、アルテ高崎に戻るチャンスを窺うのはどうだ?』と言われて。僕自身、高卒でアルテ高崎に加入したので、大学で勉強できるうえに、戻れるチャンスがあるなら、ありがたいなって」
その監督の思惑どおり、創造学園大に入学してサッカー部で1年を過ごしたとき、アルテ高崎の監督交代がきっかけで、岩舘は再加入を果たした。
再加入2年目の2010年にはレギュラーを射止めて29試合に、2011年には27試合に出場し、正GKの座を確かなものとする。
ところがそのオフ、岩舘は突如、活躍の場を奪われてしまう。
チーム解散――。
業績が悪化したため、運営会社がサッカークラブを手放すことになり、チームの移管交渉も不調に終わったのである。
「チームメイトの中にはサッカーを辞めた選手もいましたし、僕自身もアルバイト先の居酒屋から『社員にならないか』と誘ってもらって、そっちの道も考えた。でも、このタイミングでプロになれなかったら終わりだなと思って、セレクションを受けにいきました」
門を叩いたのは、J2の水戸ホーリーホック。柱谷哲二監督に率いられ、若手育成に定評のあったチームに練習参加すると、1カ月後に合格を告げられた。念願のプロ初契約だった。
次なる目標はプロデビュー――。
おそらく誰もがそんな未来を思い描くことだろう。ところが、岩舘は違った。
「どうすれば来季も契約してもらえるか」
当時の水戸には、正GKに本間幸司、第2GKに岩舘と同い年の笠原昴史がいた。岩舘は第3GKだったが、しかし、笠原との間には大きな溝が横たわっているように感じられた。
「明らかに自分がヘタクソだということを再認識させられました。試合に出ることを目標に掲げたくても、その土俵にすら乗れていない。でも、1年でクビになるわけにはいかない。試合に出られないなかで、どうすれば来季も契約してもらえるか。自分が少しでも成長しているところを見せないといけないなって」
もし、このときに公式戦出場を目標としていたら、ライバルを羨み、妬んでいたかもしれない。
しかし、自身の成長だけに目を向けた結果、ピッチに立てないことやライバルの存在に捕われないようになっていく。
「これまでのキャリアの中で、ベンチ外になった選手が気落ちしたり、不貞腐れたりする姿を何度か目にしてきました。でも、自分の場合はベンチ外からのスタートだったので、割り切っていたというか。他人の評価ではなく、自分なりに少しでも成長を感じ、自分で自分を評価していく感覚があったので、試合に出られなくてもモチベーションが下がることはなかったですね」
“小さいクラブ”だから学べたこと
当時の水戸はまだJ1ライセンスを持っていなかったうえに、東日本大震災の影響でスポンサー収入減の打撃を受け、環境面においても恵まれていなかった。
「J2ってこんな世界なのか」と岩舘を驚かせるほどだったが、小さいクラブだからこそ、感じられることもあった。
「第3、第4GKだったから試合に同行せず、クラブが力を入れていた土日の地域イベントに参加することが多かったんです。クラブスタッフの方々が頑張ってくれるからクラブは成り立っている、ということをダイレクトに感じられたのは大きな経験でした」
所属クラブの消滅を経験しただけに、岩舘にとっては切実だった。
「地域活動やパートナー営業をすることで少しずつ予算が増えて、チームの環境が良くなる。そのおかけでいい選手が加入して、チームが強くなる。小さいクラブだったからこそ、スタッフのひとつのアクションがクラブの経営やチームの強化にどう結びつくのか、学ぶことができました」