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「よくぞこの作品を…」羽生結弦27歳が“僕の原点”と語るスーパーファミコンの“マニアックすぎる”2つの名作ってどんなゲーム? 

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屋城敦

屋城敦Atsushi Yashiro

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photograph byGetty Images/©TAITO CORPORATION 1995 ALL RIGHTS RESERVED.

posted2022/03/01 17:02

「よくぞこの作品を…」羽生結弦27歳が“僕の原点”と語るスーパーファミコンの“マニアックすぎる”2つの名作ってどんなゲーム?<Number Web> photograph by Getty Images/©TAITO CORPORATION 1995 ALL RIGHTS RESERVED.

羽生結弦選手が好きだと公言する『エストポリス伝記II』の実際のプレイ画面

『エストポリス伝記II』は、1995年2月24日にタイトーよりスーパーファミコン用に発売されたRPG。開発は、後に箱庭系スローライフシミュレーションゲームとして大ヒットした『ルーンファクトリー』シリーズなども手掛けたネバーランドカンパニーが担当している。

 1987年の『ドラゴンクエストII』の大ヒットなどを受け、1980年代後半~1990年代の日本のゲーム業界は空前のRPGブームとなっていた。各社は競うようにさまざまなタイトルを世に送り出していったのだが、その中のひとつが1993年に発売された『エストポリス伝記』だった。

 とにかく競争相手が多いRPGでは、ストーリーやシステムなど、各社とも独自色を強く打ち出す傾向があった。斬新なシステム、世界観など、それらは良い方向に結果が出ることもあるが、多くの場合失敗に終わり、これまで星の数ほどの作品が世に知られることなく埋もれていっている。しかし『エストポリス伝記』は、どう転ぶかわからない独自のものではなく、それまでのRPGのヒット作のいいとこ取りのようなシステムを採用。ホームランではなく単打を狙いに行った……というわけでもないのだろうが、結果として特筆すべき点はないが欠点もほぼ見られず、“そこそこ”の評価と売上を得ることになる。

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 その2年後に登場したのが『エストポリス伝記II』で、第1作のオープニングで登場した100年前の英雄たちの物語を描く作品となっている。会社としても相当力を入れていたようで、当時、大量のテレビCMが投下されている。その内容は、主人公とヒロインがお互いの名前を呼び合い続けるという、ゲーム内容はまったく伝わらないがインパクトは十分なものだった。

 ゲームとしては、多くの面で第1作の不満点を解消するものとなっており、わかりやすく、テンポのいい展開やバトル、やり込み要素など、ファンからの評価は非常に高い。音楽面での評価も高く、後にバトル音楽の盗作騒動が起こったほどである。また、ストーリーも第1作同様ラブコメ要素が強く盛り込まれており、失恋や結婚、出産といったエピソードなど、インターネット普及前の時代における少年少女たちには少し刺激の強い内容も……。羽生選手も、もしかしたらそれが印象に残っているのかもしれない。

『新・鬼ヶ島』と異なり、『エストポリス伝記II』はある程度のヒットを記録した作品ではあるが、その後27年経つ現在でも続編が発売されることはなく(『エストポリス伝記II』をベースにした完全新作としてのアクションRPGは2010年に発売されている)、今や“知る人ぞ知る”作品となっている。その名を“原点”として挙げたことには、コアなゲームファンからも驚きの声が上がっているようだ。

 世界中から注目され、フィギュアスケート史上に残る偉大な選手である羽生選手が原点と語るものは、何とゲームだった。しかも、あまり注目を浴びることなく時代の流れに埋もれていった“隠れた名作”。世界にその名を轟かせるヒーローの慧眼ぶりには、ゲームファンも魅了されてしまうのかもしれない。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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