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「よくぞこの作品を…」羽生結弦27歳が“僕の原点”と語るスーパーファミコンの“マニアックすぎる”2つの名作ってどんなゲーム? 

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屋城敦

屋城敦Atsushi Yashiro

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photograph byGetty Images/©TAITO CORPORATION 1995 ALL RIGHTS RESERVED.

posted2022/03/01 17:02

「よくぞこの作品を…」羽生結弦27歳が“僕の原点”と語るスーパーファミコンの“マニアックすぎる”2つの名作ってどんなゲーム?<Number Web> photograph by Getty Images/©TAITO CORPORATION 1995 ALL RIGHTS RESERVED.

羽生結弦選手が好きだと公言する『エストポリス伝記II』の実際のプレイ画面

『平成 新・鬼ヶ島』は、1996年9月からスーパーファミコン向け衛星データ放送サービス“サテラビュー”で配信された任天堂のゲームコンテンツ。その後、1997年9月30日にスーパーファミコンの“ニンテンドウパワー”というサービスの第1弾ソフトとして配信され、さらに1998年5月23日にはパッケージ版が前後編に分かれて発売されている。

 ちなみにニンテンドウパワーとは、ローソンと任天堂が協業して行っていたゲームソフトの書き換え販売サービスで、ローソンのマルチメディア端末機“Loppi”の導入に伴う、目玉コンテンツのひとつとして始まっている(なお、Loppiでは2002年まで扱われていた)。

 ゲーム内容は、コマンド選択型のアドベンチャーゲーム。アドベンチャーといっても、『バイオハザード』シリーズのようなアクション寄りのものや、いわゆる“泣きゲー”、“乙女ゲーム”でよく使われるノベルタイプのものではない。1980年代後半に大流行したゲームブックのシステムに、アクションパートやミニゲームを盛り込んだものとなっていた。

 また、1987年にファミリーコンピュータ ディスクシステムで発売された『ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島』の外伝+リメイク的作品でもあり、ストーリーでは同作の主人公たちの前世や、お供である犬、猿、キジの過去などが描かれる。基本的にはほのぼのとした雰囲気となっており、作中、さまざまな日本の昔話をモチーフにしたユニークなネタが登場して笑わせてくれるなど、子どもでも気軽に楽しめる作品だった。

 音楽も『スーパーマリオブラザーズ』や『ゼルダの伝説』などを手掛けた近藤浩治氏によるもので、コアなゲームファンの間でもその評価は高い。

 しかし評価のわりには、羽生選手が語っていたように知名度は全くと言っていいほどなかった。元がサテラビューやニンテンドウパワーと、商業的には成功したとは言い難いサービスでの配信だったことに加え、パッケージ版の発売も1998年と、スーパーファミコンがすでに旧世代のハードになってしまった後であったために、ほとんど売れなかったからだ。

 当時は1994年発売のプレイステーションが『ファイナルファンタジーVII』の大ヒットなどもあってNO.1ゲームハードの地位を確立しており、さらにスーパーファミコンを発売した任天堂自身もNINTENDO64という新ハードを1996年に発売していたので、ゲームの出来とは関係なく『平成 新・鬼ヶ島』がヒットするのは難しかっただろう。当時まだ幼かった羽生選手(1994年生まれ)が、よくぞこの作品を知っていたものである。

欠点のない安定感と恋愛要素『エストポリス伝記II』

「そして『エストポリス伝記II』ってやつがあるんですけど、それも僕の原点です。ぜひ伝えたい(笑)」(羽生選手インタビューより)

【次ページ】 知る人ぞ知る名作『エストポリス伝記II』

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