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「羽生の個人的な勝利だった」元祖“4回転王”ティモシー・ゲイブルが羽生結弦の“4アクセル挑戦”を絶賛したワケ《独占インタビュー》

posted2022/02/22 11:15

 
「羽生の個人的な勝利だった」元祖“4回転王”ティモシー・ゲイブルが羽生結弦の“4アクセル挑戦”を絶賛したワケ《独占インタビュー》<Number Web> photograph by Getty Images

(左)北京五輪フリーでは4アクセルに挑んだ羽生結弦(右)元祖“4回転王”ティモシー・ゲイブル

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田村明子

田村明子Akiko Tamura

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 1998年3月に試合で史上初の4回転サルコウを成功させ、1999年のスケートアメリカでは一つのプログラムで3度の4回転を降りた最初のスケーターとなったティモシー・ゲイブル。2006年に競技引退後、コロンビア大学、ニューヨーク大学大学院を卒業し、現在グーグルで働く彼が、独占取材に応じた。北京五輪での羽生結弦の4アクセルへの挑戦、そしてこれからのフィギュア界を担う選手たちへ送ったメッセージとは――。

◆◆◆

 この北京オリンピックの男子シングルを見た全体的な感想から、まず語ってもらった。

「ジャンプ技術の進化を、とても嬉しく思っています。4回転のポイントが再調整される以前、2010年バンクーバーオリンピックの前のシーズン、リスクに見合わないと多くの選手が4回転を避けるようになり、技術の進歩が停滞した時期がありました。これは明らかに間違いであり、オリンピック後にポイントの修正が行われたわけです。でも平昌オリンピックのあった2018年からこの4年間だけでも、4回転の種類、それに挑むだけでなく成功させている選手の数が増えている。男子はこうして限界をプッシュしてきたけれど、現在は女子がそれに参加しています。ジャンプをとても楽しんで技術をプッシュしてきた人間として、これはとても喜ばしいことだと思っています」

 5種類の4回転が見られる日が来ることは、予想していたのか。

「ぼくの世代の選手たちは、プルシェンコなどが何種類か練習していたことは知っていました。でも自分が競技を続けている間に、5種類を見ることはないだろうと思っていました。ぼく自身は試合ではサルコウとトウループ、練習では調子が良ければループも跳んでいました。フリップも1度か2度降りたことがあります。でもとても試合で使えるような確率ではありませんでした」

“4回転王”が見た北京五輪「羽生の個人的な勝利だった」

 ゲイブルは、試合で複数の4回転を演じるには身体能力だけではなく、精神力が重要であることを強調する。

「自分の経験から言うと、3度の4回転をプログラムに入れる責任を背負うというのは、身体的な限界よりも、精神的に全く違うプログラムを演じることなんです。コーチは選手を身体的にトレーニングをすることはできますが、こうした大技をやっても全体が崩れないと自分を信じることができるかどうか、というのは別なものなのです」

 羽生の4アクセルへの挑戦は、どう感じたのか。

【次ページ】 「ユヅの成し遂げたことは無くならない」

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