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「こんなに弱くなりやがって」“時代と噛み合わなかった男”石渡伸太郎が若い格闘家に贈る提言「朝倉兄弟のように自ら発信すべき」
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySusumu Nagao
posted2022/02/12 17:01
2013年6月、石渡伸太郎は『VTJ 2nd』で堀口恭司と対戦。結果は5ラウンド41秒でKO負けだったが、この試合を石渡のベストバウトにあげるファンも多い
ファイターとしての自分のピークは2012年9月の宇野薫戦だと認識する。すでに10年前の話だ。石渡は「あの頃はベンチプレスで120kg近くまで上げられたけど、最後は50kgくらいしか上がらなかった」と打ち明ける。
「中学生のときでも60~70kgくらいは上げていたんですけどね」
2014年からは左右の首と左のヒジに爆弾を抱えながらキャリアを積み重ねた。
「左の方の首は感覚が薄い。一方、右の方は痛い。ヒジはずっと神経にくる虫歯の痛みと付き合っているような感じでした。いまでも寝ていると、痛くて途中で起きてしまう」
これまで“引退”の二文字が脳裏をよぎることはなかったのかと聞くと、石渡は「毎日ありました」と本音を漏らした。
「体を削ってやってきたことは間違いない。早く辞めなきゃいけないという思いは常にありました。連勝しているときでさえありましたね」
にもかかわらず、なぜ現役を続行したのか?
「好きだからじゃないですか。練習をやっても、誰かに負けるわけでもない。(手負いの状態になっても)自分はある程度強いという自信はあったので」
「こんなに弱くなりやがって」自身への憤りも
石渡は、つねに自分と闘っていた。
「自分のパフォーマンスができない」
そのもどかしさを最も感じたのは、先に記した扇久保との引退試合だった。石渡は自分が許せなかった。
「こんなに弱くなりやがって」
その扇久保戦の前日計量の際、石渡は「こんな時代が来るとは思わなかった」と感慨深いコメントを残している。これはスポットライトを浴びたくても浴びられなかった自分に、いきなりライトが当たったことを指す。
「僕のピークと時代のピークが合わなかったというのは間違いなくありますね」
RIZINに出る前の石渡は怒りに満ちていた。
「雑誌の扱いも小さかったし、ふざけるなという思いはありましたね」
しかし、いまとなってはその怒りは単なる自分の努力不足と解釈している。
「朝倉兄弟のように、常に自分から何かを発信するという努力をしようという方向にいかなかった。自分は受けの方に回っていた。そこの部分はすごく反省していて、後進に伝えたいところですね」