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「こんなに弱くなりやがって」“時代と噛み合わなかった男”石渡伸太郎が若い格闘家に贈る提言「朝倉兄弟のように自ら発信すべき」
posted2022/02/12 17:01
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
Susumu Nagao
1月23日、石渡伸太郎は扇久保博正と都内で引退エキシビションマッチを行なった。しかし、それは引退記念興行の単なる余興ではなかった。自分の性格をきっちりと把握しているがゆえに、近い将来「時間が空いたら、どうせ俺はまた総合格闘技をまたやりたくなる」と予想したうえでの行動だったというのだ。
「そうすることで退路を断ちました。引退と宣言しなければ、またやるに決まっている」
昨年9月19日の『RIZIN.30』で引退セレモニーをやったにもかかわらず、もう一度公のリングに上がることに筆者は疑問を抱いていたが、その一言で全て氷解した。
もう一度やりたくなるというのは性格? と水を向けると、石渡は首を横に振った。
「いや、ファイターという生き物の性質じゃないでしょうか」
最後の試合で気づいた「一番の幸せ」
扇久保は2019年大晦日の『RIZIN.20』で闘い、判定1-2で惜敗した因縁の相手だった。エキシとはいえ、グラップリング(組み技)に関していえば、お互いガチでやろうと決めていた。案の定、時間が経つにつれ、試合はヒートアップ。観客席から笑いが起こるようなまったりとした場面は皆無だった。
もう闘うことはないというのに、石渡は「(余裕があったので)わりと遊べちゃう部分があった」と手応えを感じていた。
「自分には、まだある程度(格闘家としての)力があると再認識しました」
だが、大会後に関係者やお世話になった人に挨拶まわりをしているときにはたと気づく。
「あっ、俺は誰かに『強い』といわれたくて闘っていたわけではなかったんだ、と。試合をすることで、誰かとつながっていることが確認できる。それが一番の幸せだったことに、初めて気づいたんですよ」
最後のエキシで扇久保からタップを奪えたわけではなかったが、コロナ禍にもかかわらず自分のために何百人もの人々が会場に駆けつけ、声をかけてくれた。今まで当たり前に受け止めていたことが、何よりもうれしかった。
「今後の人生でも、その軸を崩さずに生きていこうと決めました。最後にそのことに気づけただけでも自分は本当に幸せだと思う」