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「時は来た!」蝶野正洋はなぜ笑った? 裕福な家庭で育った元暴走族の青年が“黒の総帥”に上り詰めるまで
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph byYukio Hiraku/AFLO
posted2022/02/10 11:00
「黒の総帥」というキャラクターで人気プロレスラーの地位を確立した蝶野正洋
そんな蝶野の経歴を語る際、元暴走族と同時に「裕福な家庭に生まれ育ったお坊っちゃん」というキーワードも欠かせないが、これも本当の話。「蝶野」というレアな名字も後押ししているはずだが、同世代で蝶野と同じ東京都三鷹市近辺で育った人に聞くと、実際にかなり知られた存在だったそうだ。そんな暴走族時代の経験も、あのキャラクター形成に多分に活かされているはずだ。
蝶野青年は裕福な実家を持つ暴走族でもありつつ、たまたまテレビで視聴したプロレス中継に衝撃を受け、一転してプロレスラーを目指すことになる。高校卒業後は家族の手前、表向きは大学受験を目指し、2浪の末、神奈川大学に合格。入学式だけは出席して、そのまま新日本プロレスに入門してしまったという逸話を持つ。
蝶野よりは5~6年ほど時代が後になるが、筆者も神奈川大学の出身。「時は来た!事件」の中継も、レスリング部道場(当時、六角橋キャンパス)にあるテレビで視聴しつつ爆笑していたものだ。レスリング部道場には入学式を終えた蝶野が、一瞬だけ視察に来たと言い伝わるが、その真偽は知らない。
筆者が学生だった当時、教務課職員の人から、こんな話を聞かされたことがある。
「最近、プロレスで活躍している蝶野って人いるでしょ? そのお母さんが、つい最近まで、毎年4月になると『息子が退学にならないように』って、学費を払い込みに来てくれていたんだよ。もうテレビに出ているぐらい有名な選手なのに、いつプロレスを辞めてもいいようにって。やっぱり珍しい名字だから、教務課でも名前を覚えられていたんだよね」
育ちの良さと、暴走族時代の経験や東映ヤクザ映画で学んだガラの悪い口調。海外修行や国際結婚で身にまとったファッション感覚とワールドワイドな視点。そして師匠・猪木から学んだプロレスラーとして絶対に崩してはならないイメージの重要性――。黒の総帥が作り上げてきたキャラクターの奥深さは一朝一夕のモノではないのである。
ガッデム!
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