Jをめぐる冒険BACK NUMBER
「テツ!絶対に勝てよ!」衝撃だった川淵三郎との出会い、オフトvsラモスの衝突…柱谷哲二が語るドーハの悲劇とW杯を諦めた瞬間
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKoji Asakura
posted2022/01/31 11:03
加茂、オフト、ファルカンと歴代の監督から信頼を集め、日本代表で長らくキャプテンを務めた柱谷哲二
4日後の10月8日、アジア最終予選の地、カタールのドーハへ飛び立つ日を迎えても、柱谷のコンディションは復調していなかった。
「まだ微熱が続いていてね。全身に筋肉痛のような痛さがあったんだけど、薬を飲むと肝臓の数値が上がるから飲ませてもらえなくて。血液検査をして、問題ないということで薬が飲めたのは、初戦の2日前。それでようやく痛みが治まった」
最終予選に進んだのは6チーム。そのうちW杯出場権を得られるのは、2チームのみ。
サウジアラビアとの初戦に0-0と引き分けた日本は、第2戦でイランに1-2と敗れ、絶体絶命のピンチに陥った。
しかし、長谷川健太、中山雅史、勝矢寿延をスタメンに抜擢した北朝鮮戦で3-0と完勝し、息を吹き返す。
続く韓国戦もカズのゴールで1-0と勝利し、アメリカ行きの切符に王手をかけた。
首位に浮上した日本代表は、運命のイラク戦に向けて最終調整を行なっていた。
「僕は落ち着いていたし、オフトも普段どおりだったと思う。ただ、ラモスさんの様子がちょっと変だったかな。急に無口になっちゃって。だから僕は、特に何も言わないんだけど、隣にいるようにしていた。メディアの皆さんはすごく盛り上がっていて、レポーターの小谷実可子ちゃん(元シンクロナイズドスイミング選手)のテンションがすごく高かったのを覚えている(笑)」
「終了のホイッスルも覚えていない」
10月28日に行われたイラクとの最終戦。カズのゴールで5分に先制したが、その後はイラクペースでゲームが進み、後半9分に同点ゴールを許してしまう。
ピッチ上では文字通りの死闘が繰り広げられていた。
「(イラクのエース)アーメド・ラディが振り向きざまにグーで殴って来たんだ。勝たないと鞭打ちの刑が待っているっていう噂があって、必死だったんだろうね。僕も頭にきて、アキレス腱を蹴り返した。やってやるよって」
後半24分、押されていた日本は中山が起死回生の勝ち越しゴールを決め、再びリードを奪った。しかし、選手たちには体力の限界が近づいていた。
「イラクの攻撃も放り込むだけで単調になっていたけど、日本の中盤の選手の足も重くて、セカンドボールを拾えなくなっていた。だから、キーちゃんを入れてほしくて」
だが、オフトが中山に代えて投入したのは、FWの武田修宏だった。
「オフトと考えがズレたのは、これが最初で最後だった。もちろん、タケちゃんがダメ押しゴールを奪っていれば采配ズバリで、タラレバなんだけど……」
2-1で迎えた後半45分、武田のセンタリングが相手にカットされて逆襲を許したが、森保一が食い止めてラモスにパス。ラモスが裏を狙ったボールは、相手にカットされてしまう。
「ラモスさんも足がパンパンでもう蹴れなかった。そのボールを縦に入れられ、コーナーを取られて。僕も限界で、タケちゃんに『キープ!』と叫ぶことができなかった」
イラクのショートコーナーにカズが食らいついたもののクロスを上げられ、中央でイラクの選手が頭で合わせた。
ボールは緩やかな弧を描き、ゴールに吸い込まれていく……。
柱谷の記憶はそこでプツリと途絶えている。
「『嘘だろ?』って。どうやってキックオフしたのかも、終了のホイッスルも覚えてない。次に覚えているのは、ハッと我に返って、サポーターに挨拶しにいかなきゃと思ってゴール裏に向かったこと」
お通夜のようなムードのロッカールームではGKの松永が号泣していて、着替えることも、立ち上がることもできずにいた。
「責任を感じていたんだろうね。ノボリ(澤登正朗)たちサブの選手が泣きながらロッカールームを掃除してくれて。自分はもう涙も枯れ果てた感じ。地獄のようなあの光景を思い出したら、どんな辛いことでも耐えられるよ」
“ドーハの悲劇”によって日本代表は予選敗退となり、オフトは代表監督を退いた。