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「テツ!絶対に勝てよ!」衝撃だった川淵三郎との出会い、オフトvsラモスの衝突…柱谷哲二が語るドーハの悲劇とW杯を諦めた瞬間

posted2022/01/31 11:03

 
「テツ!絶対に勝てよ!」衝撃だった川淵三郎との出会い、オフトvsラモスの衝突…柱谷哲二が語るドーハの悲劇とW杯を諦めた瞬間<Number Web> photograph by Koji Asakura

加茂、オフト、ファルカンと歴代の監督から信頼を集め、日本代表で長らくキャプテンを務めた柱谷哲二

text by

飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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photograph by

Koji Asakura

サッカー日本代表のキャプテンマークには、この男の魂が宿っているのかもしれない。闘将・柱谷哲二、57歳だ。「ドーハの悲劇」を経験し、W杯アジア予選の厳しさを誰よりも理解する男は、かつて同部屋だった森保一にどんなエールを送るのか。憧れた兄の存在、日産から読売へ“禁断の移籍”、Jリーグ開幕戦の秘話、そして現在指導する花巻東高校への思いを熱く熱く語り始めた。全3回の#2(#1#3へ)

 これまでに600人以上の選手が日本代表キャップを刻んできた。

 そのうち34人しか達成していない偉業を、柱谷哲二は成し遂げている。

 それは、代表デビュー戦での初ゴール――。

 1988年1月に行われたアウェイのUAE戦。1点ビハインドの85分、柱谷のもとにセカンドボールがこぼれて来ると……。

「GKが前に出ていたから、ボールを浮かせてGKの頭越しに決めたんだ。完璧なループシュート。映像が残ってないから信じてもらえないかもしれないけど、本当だよ(笑)」

 23歳の柱谷を日本代表に抜擢した指揮官は、のちに浦和レッズの監督やGMを務める横山謙三である。その横山体制で、柱谷にとって特に印象深いのが、このデビュー戦でのゴールと、91年6月のキリンカップだ。

 ブラジルから帰国したカズ(三浦知良)や日本に帰化したラモス瑠偉を中心にした日本代表が、タイ代表、ブラジルのバスコ・ダ・ガマ、イングランドのトッテナムに全勝して初優勝を飾ったこの大会で、柱谷の記憶に深く刻まれているのは、ピッチ内のシーンではない。

 柱谷の地元、京都で行われたバスコ・ダ・ガマ戦の試合前のことだ。

「日本サッカー協会のバッジを付けた強面のおじさんがいきなり『テツ! 絶対勝てよ!』と言ってきて。誰だ? この人。たぶん偉い人なんだろうなって(苦笑)」

 その人物こそ、のちにJリーグチェアマン、日本サッカー協会会長となる川淵三郎だった。

「それで僕も言ったの。『相手は優勝したらお金がもらえるのに、僕らは一銭ももらえないのはおかしくないですか』って。そうしたら、『やるよ。だから絶対に勝て』と」

 衝撃的な言葉だった。それまでは「勝ったら考えてやる」という答えしかもらったことがなかったからだ。

「たしか、ひとり20万ぐらいもらったんじゃないかな。リーグのプロ化に伴い、日本代表もプロの集団に変えようとしていたんだろうね」

 その川淵が日本代表初の外国人監督として92年に招聘したのが、オランダ人指揮官のハンス・オフトだった。

オフトはなぜ柱谷をキャプテンに指名したのか

 かつてヤマハ発動機のコーチやマツダSCの監督を務めたオフトは、日本代表を初のW杯出場へと導くために再来日を果たし、柱谷をキャプテンに指名した。

「小学生時代からずっとキャプテンをやってきて、子供の頃の作文にも『将来、日本代表のキャプテンをやりたい』と書いたくらいだから嬉しかったけど、ちょっと待てよと……」

 このとき、柱谷は27歳。オフトジャパンのメンバーには、年上にも年下にも一筋縄ではいかない選手ばかりが選ばれていた。

「ラモスさんでしょう、松永(成立)さん、よっさん(吉田光範)、カズ、フクちゃん(福田正博)、キーちゃん(北澤豪)……。これは大変だなと(苦笑)」

 柱谷が予想したとおり、日本代表キャプテンは大変な役回りだった。

 なかでも手を焼いたのが、ラモスだった。

 トライアングル、スリーライン、スモールフィールドといった基本を徹底し、サイド攻撃を重んじるオフトと、ブラジル流の自由な発想で、中央突破にこだわるラモスは、サッカー観が決定的に異なっていたのだ。

「最初のキャンプからダメだった。オフトが指笛で練習を止めるたびに、ラモスさんは『俺たちは犬じゃねえ』と怒って。それでイライラしたままスパイクをナイフで削っていたら、誤って自分の足を刺しちゃった(苦笑)」

【次ページ】 オフトにずっと噛み付いていたラモス

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