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ドカベンは「原辰徳世代の甲子園で清原超え+ノムさん級捕手」 あぶさんは王さんや落合級…推定成績に見る《水島新司漫画の偉業》

posted2022/01/19 17:01

 
ドカベンは「原辰徳世代の甲子園で清原超え+ノムさん級捕手」 あぶさんは王さんや落合級…推定成績に見る《水島新司漫画の偉業》<Number Web> photograph by Kyodo News

「ドカベン」こと山田太郎。彼ら登場人物や水島新司先生がマンガで残した実績はとてつもなく偉大だ

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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Kyodo News

 2022年1月10日、水島新司さん(以下敬称略)が82歳で亡くなった。

 水島は2018年に日本野球殿堂の特別表彰の候補者になった。しかしこの年3票、19年5票、20年も3票が投じられただけ。当選必要数の11票には遠く及ばなかった。水島本人が候補者エントリーを辞退したので、殿堂入りすることはなかった。

 半世紀以上にわたって野球漫画を描き続けた水島新司の貢献度は、2000安打、200勝を記録した大選手に匹敵すると思うだけに、痛恨ではある。

 水島新司は1969年に少年キングで『エースの条件』という野球漫画の連載を始める。原作者は『どてらい男(やつ)』の花登筐だった。

 前年『巨人の星』のテレビアニメが始まり、空前の野球漫画ブームになっていた。筆者は星飛雄馬の大リーグボール1号を打つために巨大な鉄球を打つ花形満をテレビで見た夜に、恐ろしくてうなされたことを覚えている。当時の小学生はそれくらい熱中したが、水島新司は、強烈なライバル心を抱くとともに「野球はこんなもんじゃない」と強い反発を感じていた。

 確かに今見れば『巨人の星』の星飛雄馬の投球フォームは理にかなっていない。球場の描写もアバウトだし、グローブやミットも、丸を描いて線をぴっぴっと入れた程度。そもそも当時の少年漫画とはその程度のものだったのだが、水島新司はそれが許せなかった。

「野球の動き」「球場の描写」が実に細かくリアルだった

 彼の野球漫画は、こだわりが違った。一瞬のプレーを描くときでも、革ひもが通ったグローブのウェブ部分の湾曲や、かかとに重心を置いて踏み込むスパイクのつま先の小さな「浮き」など、一つ一つのシーンを描きつくした。なめした皮の匂いが漂ってきそうだった。

 水島は中学を出て行商をするなど苦労をして漫画家になったが、野球へのあこがれは強く、晩年まで草野球チームを主宰して球を追いかけていた。「野球の動き」へのこだわりは強く、腕や脚の「しなり」、「ため」などの描写は実に細かくリアルだった。

 さらに球場のディテールにもこだわっていた。『ドカベン』では甲子園、『あぶさん』では大阪球場が舞台になることが多かったが、大改修前の甲子園の古びたスタンドや、大阪球場入り口の、場外馬券売り場付近の雑踏の空気感も実に細かく描写した。

 それだけではなく、今はなき平和台球場、南海がかつて春季キャンプをした広島県呉市の二河球場まで、実にリアルに描き込んでいる。おそらく多くの写真を撮影して、それをもとに描いたのだろう。

【次ページ】 山田太郎の甲子園通算成績がエグすぎる

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