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《引退》“史上最高の体操選手”内村航平が追い求めたモノとは「みんなに知らせたくて体育館中を騒ぎ回った」「映像を100万回は見ました」 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byAsami Enomoto

posted2022/01/17 17:10

《引退》“史上最高の体操選手”内村航平が追い求めたモノとは「みんなに知らせたくて体育館中を騒ぎ回った」「映像を100万回は見ました」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

1月14日、都内で引退会見を行った内村航平。“史上最高の体操選手”が挙げた、思い入れのある3つの技とは

「死ぬかもしれないと何度か思った」

 こうして迎えた16年夏のリオデジャネイロ五輪。内村は15年に続いて「リ・シャオペン」を成功させ、悲願の団体金メダルと個人総合の2冠に輝いた。

 もっとも、高難度であるが故にリスクも大きいのが「リ・シャオペン」である。1年後の17年世界選手権では個人総合予選の跳馬でこの技に挑み、着地で左足を負傷。大会を途中棄権することになり、世界選手権での個人総合連覇が途切れた。「死ぬかもしれないと何度か思った」(内村)という恐怖の技でもあった。しかし、現役を終えた今は、最難関だったこの技を宝物のように語っている。内村にとって本当に思い出深い技なのだと思う。

技2)「体育館中を騒ぎ回った」。内村の原動力に

 そんな内村が、印象に残っている技として引退会見で真っ先に挙げたのは「蹴上がり」だった。

「僕がこれほど(多くの)技を習得できたのも、技を覚える楽しさを知っているからこそだと思う」とし、「技を覚えたことで一番嬉しかった、楽しかったという記憶があるのが蹴上がりです」と言った。

 3歳から体操を始めたという内村だが、最初の頃は周りの子供たちと比べて技を習得するのが遅い方だったという。蹴上がりができるようになったのは小1のころ。ずっと出来ずに一人で練習していると、ある時突然に成功した。

「誰も見ていない時にできちゃったので、みんなに知らせたくて体育館中を騒ぎ回ったんですよね。周りは引いていましたけど」

 そんな風に語っていたものだ。

 引退会見では、「蹴上がりを覚えた時の記憶、感動は今でも忘れられない。500くらいの技を覚えられた原動力になっています」と感慨深げだった。

技3)現役生活最後に習得した鉄棒の大技

 現役生活の最後に習得したのが、自身にとって最高難度である鉄棒のH難度技「ブレットシュナイダー」だったことも内村の体操人生を象徴している。

「ブレットシュナイダーに関しても、本当に試行錯誤を重ねてあの領域まで行けました。一つの技に対して、そこまで追い求められるからこそ、質や成功率が高いのだろうと、自分でも思っています」

 技ができたときの喜びは33歳の心をも潤していた。

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