オリンピックPRESSBACK NUMBER

《引退》“史上最高の体操選手”内村航平が追い求めたモノとは「みんなに知らせたくて体育館中を騒ぎ回った」「映像を100万回は見ました」 

text by

矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

PROFILE

photograph byAsami Enomoto

posted2022/01/17 17:10

《引退》“史上最高の体操選手”内村航平が追い求めたモノとは「みんなに知らせたくて体育館中を騒ぎ回った」「映像を100万回は見ました」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

1月14日、都内で引退会見を行った内村航平。“史上最高の体操選手”が挙げた、思い入れのある3つの技とは

 初めて試合で使ったのは、15年4月の全日本個人総合選手権予選。その時は着地がずれてラインオーバーの減点があったが、続く5月のNHK杯では、技の出来映えを示すEスコア9.350点を出す素晴らしい実施に到達した。

「全日本の時はまだ立てるか立てないか、分からない状態でやっていたが、今回はしっかりやれば絶対に立てるという余裕がありました」

 NHK杯で満足げに語っていた内村は、それから数日後の取材で「リ・シャオペン」に込める特別な思いを明かした。

 きっかけは14年10月に中国・南寧で開催された体操世界選手権だった。日本は団体総合で中国にわずか0.1点差で敗れ、銀メダル。その時から内村は「来年は跳馬を0.2点、上げたい。来年は『リ・シャオペン』をやりたい」と決意を明かしていた。

 内村が言う「0.2点」は、中国に勝つために足りなかった点数でもあった。内村は14年夏の時点で練習では既に「リ・シャオペン」を成功させていたが、納得できる完成度に至っていないと判断し、世界選手権で披露することを自重していた。その結果が僅差の銀メダル。いずれ日本にリオデジャネイロ五輪の団体金メダルをもたらすためには、15年のうちから自分が率先して高難度の技を完成していかなければならないと覚悟し、温め続けてきた腹案を出してきたのだった。

「一番難しかったし、一番動画を見る回数も多かった」

 「リ・シャオペン」への思い入れの深さは内村の言葉からひしひしと伝わってきた。

「大学1年の時に練習で初めてやってから、僕の跳馬の終着点は『リ・シャオペン』だと決めていました。やり始めて8、9年目。ようやく形になりました」

 内村は今回の引退会見でも「リ・シャオペン」の名を出し、こう語った。

「今まで習得してきた中で一番難しかったし、一番動画を見る回数も多かったし、考えました。できるようになってからも、本当にこれが合っているのかなと思いながらやっていた。その後も改良を重ねました。いまだに難しいと感じています」

 会見でのコメントを受けて以前のコメントを掘り起こすと、内村は確かに「大学1年生だった時(07年)から今(15年)までの間に、李小鵬選手本人の映像を100万回は見ました」と語っていた。

 15年にようやく納得のいく完成度に至った要因については、「今までは違う跳び方をしていたのですが、最近ひらめいて理解できました。手のつきかたが違っていたんです。体をひねる分、いかに早く(跳馬に)手をつくかが大事でした」と説明した。

【次ページ】 「死ぬかもしれないと何度か思った」

BACK 1 2 3 NEXT
#内村航平
#オリンピック・パラリンピック
#リオデジャネイロ五輪
#ロンドン五輪
#東京五輪

体操の前後の記事

ページトップ