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「クラブから高校へ来て、最初は戸惑いました。でも…」ユース昇格を逃した中村俊輔が桐光学園で学んだものとは《選手権準優勝》
posted2022/01/09 17:02
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
AFLO
のちに日本を代表することになるスーパーレフティーは、“Jリーグ型選手育成”のプロトタイプなのかもしれない。
1995年11月19日、高校選手権の神奈川県予選決勝が行われた。三ツ沢球技場のピッチに立ったのは、まだ新興勢力だった桐光学園と渕野辺である。当時の僕はサッカー専門誌の編集者で、高校サッカー担当によれば桐光が有利とのことだった。
2年生にして強力メンバーの中心だった細身のMF
桐光の先発メンバーを見れば、同僚の見立てに頷くことができた。3バックの中央を任される2年生は、のちに川崎フロンターレで活躍する佐原秀樹だ。2トップを組むふたりの3年生も、Jリーガーとなる。須藤大輔は東海大学を経てJリーガーとなり、ヴァンフォーレ甲府を中心にプレーした。酒井良は湘南ベルマーレでプロデビューを飾り、FC町田ゼルビアに長く在籍した。
決勝戦に後半途中から出場した1年生の井手口純は、高校卒業とともに現在の横浜F・マリノスに加入し、他クラブへの期限付き移籍を経験しながらキャリアを積み上げていった。決勝戦に出場しなかったサブの1年生には、甲府とロアッソ熊本に在籍した宇留野純の名前もあった。
高校生年代では粒揃いと言っていいチームの中心にいるのは、中村俊輔である。背番号8を着けた細身のMFは、後半開始早々の先制点をアシストしている。このレフティーの右CKが、ヘディングシュートを生み出した。後半15分過ぎの2点目も、中村の右CKから生まれた。
桐光の中盤には、現監督の鈴木勝大もいた。3年生の彼はキャプテンを務めており、リスタートのキッカーも務めていたが、CKやFKの多くは中村が蹴っていた。攻撃をコントロールする2年生MFは、再現性の高いきれいなフォームから相手守備陣を悩ませるボールを供給した。