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「国見は理不尽な練習のイメージですが」平山相太や大久保嘉人、実は中田英寿や戸田和幸17歳も指導…“小嶺忠敏先生”の大功績

posted2022/01/09 11:03

 
「国見は理不尽な練習のイメージですが」平山相太や大久保嘉人、実は中田英寿や戸田和幸17歳も指導…“小嶺忠敏先生”の大功績<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

先生でありサッカー指導者であった小嶺忠敏。日本サッカーに与えた影響は計り知れない

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NumberWeb編集部

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Takuya Sugiyama

雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は7日に逝去された高校サッカーの名将・小嶺忠敏さんと国見高校などにまつわる4つの言葉です。

<名言1>
長崎までマイクロバスで帰るんですけど、その途中で1、2年生は練習試合を転戦するんです。そのチーム分けをしていた。
(平山相太/Number995号 2020年1月17日発売)

◇解説◇
 20年ほど前の全国高校サッカー選手権で、全国に衝撃を与えたのは国見の「怪物」平山だった。1年生にして長身と柔らかなテクニックを兼備したストライカーとして注目されると、2003年には飛び級でU-20日本代表に招集され、ワールドユースにも出場した。さらに選手権の3年間で挙げたゴールは17を数え、2年連続得点王を獲得した。

 そんな平山が所属した国見の監督と言えば、小嶺忠敏である。無名校だった長崎の島原商業を全国の頂点に導いた名将は、学校が休みとなるとマイクロバスを自ら運転。大げさではなく日本中を行脚して、練習試合を繰り広げたという伝説がある。平山が衝撃を受けたのは、2年時の選手権決勝後のことだ。市立船橋相手に敗戦を喫したのだが……小嶺監督はコーチと話し込んでいた。それは練習試合のスケジューリングだったという。

「もう次の戦いに目を向けていて、勝負への情熱が凄いなって(笑)」

 プロに入って以降の平山はケガに泣かされた。それでも引退後は仙台大で学生生活を送りつつ、同校コーチ、セカンドチームの監督を務め、指導者としての道を歩んでいる。長崎で小嶺監督の情熱を目の当たりにしてきた怪物が、東北の地でどんなセカンドキャリアを歩むのか。

セレッソ育成組織から小嶺監督を慕って

<名言2>
選んだ理由は小嶺先生がいたから。小嶺先生の下でなら自分が求める厳しい環境でサッカーに打ち込めるし、人間性も磨けると思った。
(鈴木冬一/NumberWeb 2019年1月7日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/833102

◇解説◇
 小嶺監督は国見を経て、長崎総合科学大付高で高校サッカーの指導を続けた。そして同校を長崎県代表の常連校に引き上げ、安藤瑞季などプロを輩出した。その中でも特殊な経歴を歩んだのは鈴木だ。

【次ページ】 国見=理不尽な練習、のイメージだけど

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