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《天皇杯でジャイアントキリング》サッカー素人の“戦術ブロガー”がプロの分析官になれた理由「プレーが下手でも役割はある」 

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澤田将太

澤田将太Shota Sawada

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posted2021/12/21 17:02

《天皇杯でジャイアントキリング》サッカー素人の“戦術ブロガー”がプロの分析官になれた理由「プレーが下手でも役割はある」<Number Web> photograph by Sports X

ブログをきっかけに藤枝MYFCの分析官に抜擢された龍岡歩(現おこしやす京都AC)。9年間にわたる海外放浪の経験が分析官としての素地を作ったという

「ずっとサッカーを見ていた」ことが優位性に

 9年間の放浪を経て、龍岡はマニア向けのグッズを取り揃えるオンラインサッカーショップの店長として働き始める。趣味で運営していたブログには、類を見ないほど長大な文章で細かい戦術分析が記されていた。そのブログが話題となり、とあるJリーグクラブから分析官として見出されることとなる。

「普通だったら画面横のスクロールバーの短さで、『読んでられない』って気づくんですけどね(笑)。でもそのブログが藤枝MYFCの代表を務めていた小山淳の目に留まり、今の仕事に就くことになったんです。こんなサッカー素人の自分がJクラブで働くなんて、考えたこともなかったですよ。でも、ある意味では理にかなっているのかなとも思います。サッカー選手って、ずっとサッカーをしてきたわけじゃないですか? その点、僕はみなさんがボールを蹴っている時間ずっとサッカーを見ていた。単純に見ている数という意味では、僕にも優位性があったんですよ」

 膨大なサッカー知識を武器に、龍岡はJリーグの舞台に挑んだ。しかし、まともにボールを蹴れない人間が周りに認められるには、やはり時間ときっかけが必要だった。

「未経験者が現場にいるなんてレア中のレア。Jクラブという括りでは、おそらく日本初ですよ。サッカーもできないし、素性もよくわからない。そんな人間を簡単には受け入れられないですよね。当時の日本は分析官というポストの認知度も低かったこともあって、監督やコーチとなかなか馴染めませんでした。最終的にはやっぱり人と人なんで、人間関係がないとなにもできないんですよ。

 溶け込むきっかけとなったのが、海外研修です。S級ライセンスを取るために当時の監督候補が海外研修に行くことになったのですが、海外に慣れているという理由で僕が同行したんです。海外での生活に戸惑う監督の横で、僕は言葉も喋れないクセに妙に堂々としていた。そのおかげで一気に距離が縮まりました。言ってしまえば、僕のホームに引きずり込んだわけです(笑)。そこからはガッチリとタッグを組ませていただきました」

【次ページ】 「プレーが下手でも、できることは間違いなくある」

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