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侍ジャパン指揮官就任は「それだけはないよ(笑)」栗山英樹新監督が明かしていた“勝ちの逆算”「僕は時間軸をずらすことに成功したのかも」
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph byAsami Enomoto
posted2021/12/04 17:04
日本ハム監督を退任後、時間を置かずに侍ジャパンの指揮官に就任した栗山英樹新監督
監督としての栗山の10年の歩みを振り返ると、“3年”ごとに違う色があったことに気づく。監督1年目の2012年、ダルビッシュ有が抜けたチームを預かって、プロ2年目の斎藤佑樹を開幕投手に抜擢。一年間、23歳の中田翔を一度も4番から外すことなく、リーグ優勝を勝ち取った。そしてそのオフ、ドラフトで大谷翔平を獲得すると、栗山とファイターズはいったんチームをぶっ壊す。4年連続での打率3割とゴールデングラブ賞を達成していた球界屈指の外野手、糸井嘉男をバファローズへ放出したのである。目的の一つは、ルーキーの大谷を外野手として起用するために、ポジションを空けることだった。栗山が振り返る。
「時間軸が人と違っていた」
「もしかしたら、1年目に勝たせてもらったことで時間的なゆとりができたのかもしれないね。監督2年目は最下位だったんだけど、今思えば、それもよかったと思う。最下位にならないと思い切ってできないこともあるし、絶対にチームを変えてやると思ったから……あのとき、僕は時間軸をずらすことに成功したのかもしれないな」
栗山は「時間軸」という言葉を何度も使った。監督や選手、ファンの多くは“1年”という時間の中でチームを見ている。一方で、編成を預かるファイターズの吉村浩GMは5年、10年の時間軸でチームを考えてきた。そんな中、栗山は“3年”という独特の時間軸でチームを見ていたのだ。
「時間軸が人と違っていたのは実感してるよ。たとえばコーチって、今の選手の現状を評価して、足りないところに手を入れようとするじゃない。でも僕の場合は2、3年先に意識があって、3年後に活躍するんだから我慢できる、という価値観を持っていたんだよね。
ただ、時間軸が違うと価値観が違ってくるでしょ。正しいことも変わってくるから、当然、ぶつかっちゃうわけ(苦笑)。やっと、それでいいと思えるようになったんだけど、最後のほうは苦しかったなぁ。あまりにぶつかりすぎて、ここまでみんなに文句を言われるとさすがにね……これはこの子のためになる、将来のチームのためになるんだから我慢するんだって、何度、思ったことか。監督は今だけの時間軸でものを見ちゃいけないんだよ。それじゃ、前に進まないからね」
ど真ん中にいたのは二刀流の大谷翔平
2016年、ファイターズがリーグ制覇を成し遂げたとき、ど真ん中にいたのは二刀流の大谷翔平だった。
しかし栗山にとって4年ぶり、2度目の優勝は、大谷だけによってもたらされたものではなかった。2012年の優勝と2016年の優勝を比べると、変わらなかったのは4番の中田、センターを守る陽岱鋼、メジャーに挑戦して戻ってきた田中賢介、先発の吉川光夫と中継ぎの宮西尚生で、稲葉篤紀、金子誠は引退、糸井、小谷野栄一は移籍していた。先発の斎藤佑樹、武田勝、抑えの武田久は2016年は一軍の戦力にはなっていない。
育ったのはショートの中島卓也、トップを打つ西川遥輝、主軸に成長した近藤健介だった。栗山は早い時期から3年後を見据えて彼らを見出し、育ててきた。たとえば糸井と交換で獲得したショートの大引啓次について、栗山は当時、こう話していた。