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侍ジャパン指揮官就任は「それだけはないよ(笑)」栗山英樹新監督が明かしていた“勝ちの逆算”「僕は時間軸をずらすことに成功したのかも」
posted2021/12/04 17:04
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph by
Asami Enomoto
<初出:Sports Graphic Number1041号(2021年12月2日発売)>
常識を疑い、先入観に抗い続けた10年間で積み重ねた勝ち星は684、そしてリーグ優勝2回、日本一1回。プロ野球における「監督」のイメージを覆した男が、北の大地での日々を雄弁に、じっくりと振り返った。
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栗山英樹は2012年からファイターズの監督を10年に渡って務めてきた。球史を紐解くと、パ・リーグで同一チームの監督を10年以上続けて務めたのは5人しかいない。鶴岡一人の23年、王貞治の14年、西本幸雄の11年、10年の上田利治と栗山――国立の東京学芸大学を卒業後、スワローズの外野手としてゴールデングラブ賞を獲得。引退後はスポーツキャスターや大学教授として野球に向き合ってきた論客が、梨田昌孝の後任として22年ぶりにユニフォームを着たとき、誰もがその“らしからぬ”監督像に驚き、戸惑い、期待した。思い起こせば10年前、監督になったばかりの栗山に最初に訊ねたのは「監督と呼ばれて振り向けるようになりましたか」という質問だった。当時、51歳だった栗山はこう言っていた。
「監督になろうと思ってなったわけじゃない」
「だいぶね(笑)。だって振り向かないと話が進まないからさ。オファーを受けて真っ先に言っちゃったのは『僕に死ねと言ってるんですよね』と……僕は監督になろうと思ってなったわけじゃないし、このポジションは自分のことはゼロ、人のために尽くすだけだと思ってますから、チームのためにできることをしようと思っています」
あれから10年。
栗山はできることに力を尽くしてきた。監督としてファイターズに2度のリーグ優勝をもたらし、日本一にも導いた。「翔平」「佑樹」「幸太郎」と選手のことをファーストネームで呼び続け、選手への信頼と監督としての責任を連呼、温かくも厳しい選手との独特の距離感を作り出した。61歳となった今、監督のイメージを変えたと言われる栗山が退任を機に感じているのは、どんなことなのだろう。
「イメージを変えた? いやいや、それはないでしょ(苦笑)。これっぽっちもないね。それどころか、ダメの烙印を押されて監督を辞める感じしかない。これは冗談じゃなくて、プロ野球の監督ってそういうもんだなと思った。とくにこの3年、ダメだったからこそ勉強になったと思う。何とかしようとものすごく考えたし、もがき苦しんだ。野球の難しさを改めて感じさせられたよね。もし日本一になった頃に辞めていたら、こういう野球観にはなっていなかったんじゃないかな」