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<マルケス再び戦線離脱>転倒がつきもののバイクレースで、偉大な王者たちは怪我とどう対峙したか…ノリックなど“日本勢”の場合は?
text by
遠藤智Satoshi Endo
photograph bySatoshi Endo
posted2021/11/12 06:01
転びそうで転ばない。コース上では軽業師のような走りを披露するマルケスだが、今回はトレーニング中の事故での欠場となる
94年から98年まで5年連続でチャンピオンになったミック・ドゥーハンも怪我が原因で引退した。ドゥーハンは92年のシーズン前半に破竹の快進撃を続けたがオランダGPで転倒して大けがを負う。特に右足の怪我はひどく、その年のシーズン後半に復帰するも93年まで苦戦は続くが、94年に圧倒的な強さでチャンピオンを獲得。その後、無敵を誇るが99年にヘレスで行われたスペインGPの予選で転倒し、再び、右足などを負傷。復帰に向けて手術を受けるも右足の状態は良くならず、引退を決めた。99年に怪我をしたとき、ドゥーハンは33歳だった。
最高峰クラスで7度のタイトルを獲得。今季を最後に引退するバレンティーノ・ロッシも、30歳になった10年のイタリアGPで右脚脛骨を骨折してからタイトル獲得はない。そういう意味では、この怪我から完全復活を果たせなかったと言ってもいいのではないだろうか。
怪我によって成長を阻まれた日本勢
オートバイレースは、怪我が多い競技である。どんなスポーツでも「怪我をしないことも才能のひとつ」と言われるが、オートバイレースは、その最たるものだ。2009年の250ccチャンピオンで現在ホンダ・チーム・アジアの監督を務める青山博一は、MotoGPクラスにデビューした10年のイギリスGPで転倒、脊椎圧迫骨折で5レースを欠場する。この怪我はひどい痛みを伴うもので、14年までMotoGPクラスに参戦するも、この怪我で青山博一のライダーとしての成長は止まった。MotoGPクラスでの最高位は4位だったが、この怪我がなければ表彰台獲得、優勝も夢ではなかったと思う。
2007年に交通事故で亡くなったノリックこと阿部典史も、2001年のポルトガルGPの予選で右高速コーナーで激しく転倒し、左手と左足首を負傷した。このときノリックは26歳。ライダーとしてはもっとも勢いのある年齢だが、後になって思えば、それ以降、ノリックの破天荒な走りは見られなくなった。
転倒による怪我、そして経験したことがない恐怖。若いときは、それを克服していけるが、どうしてもそれを超えていけない年齢が来る。マルケスは今季3勝を挙げたが、怪我をする前の速さと強さには及ばない。今回はトレーニング中の怪我だが、トレーニング中の怪我でレースに出場できないというのも初めてのこと。視力障害がいつ回復するのかはわからないが、来季29歳になるマルケスは、怪我と戦いながら年齢から来るライダーとしての「衰え」とも闘うことになる。
史上最年少記録を次々にブレイクしてきた頃のマルケスとはもう違うのだということはわかっていても、今季の3勝はやっぱり「普通じゃないマルケスの速さ」を期待させた。一日も早く復帰することを願うばかりである。
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