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「これを練習したのは僕だけだ」EURO76決勝のPKで伝説を作ったアントニン・パネンカ本人が明かす“パネンカ”誕生秘話
posted2021/10/31 17:00
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph by
L’Équipe
PKの際に、緩いチップキックをゴール中央に蹴る。左右どちらかを予測して跳んだゴールキーパーは反応できない。このキックを生み出したアントニン・パネンカに因み、今日ではチップキックを中央に蹴ることを《パネンカ》と呼んでいる。
《パネンカ》の衝撃は大きかった。はじめて披露されたのが西ドイツ対チェコスロバキアのEURO76決勝。それも2対2のまま延長でも決着がつかず、PK戦の最後のキッカーとなったパネンカが、優勝を決めるシーンで相手ゴールキーパーをあざ笑うかのようなやり方でPKを決めたのだから。実際、ゴールを守っていた西ドイツのゼップ・マイヤーは、このうえない屈辱を感じた。
サッカーにおいて、特定のプレーにそれを始めた選手の名前を冠することは珍しい。すぐに思いつくのは《マシューズフェイント》や《クライフターン》などだが、《パネンカ》もそのひとつである。だが《パネンカ》には、フェイントもターンもつかない。ただ名前のみ。これは極めて稀なことといえる。
なぜそうなったかは、命名したのがフランス人ジャーナリストだからである。フランス人は、こと名前のつけ方においては極めてシンプルで、日本人のように余計な修飾語はまず加えない。《ドーハの悲劇》や《ジョホールバルの歓喜》ではなく、単に《ブルガリア》(ドーハの悲劇から3週間後、フランスはアメリカW杯予選最終戦で90分に決勝ゴールを決められて出場を逃した。日本では《パリの悲劇》と言われている)であり《グアダラハラ》(W杯史上最高の名勝負との評判が高い、グアダラハラでおこなわれた86年メキシコW杯準々決勝フランス対ブラジル戦)である。悲劇も歓喜もつかない。
初めての披露は76年EURO決勝
《パネンカ》も同じで、初めてメディアに名前が登場したのはパネンカ自身がこのキックでEURO76優勝を決めてから7年後のことだった。ジャンフィリップ・レータッケル(フランススポーツジャーナリズム史上屈指のレポーターのひとり)は、83年8月23日発売の『フランス・フットボール』誌1950号で、セットプレーにおけるチップキックを「パネンカのバナナ」と表現した。