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「これを練習したのは僕だけだ」EURO76決勝のPKで伝説を作ったアントニン・パネンカ本人が明かす“パネンカ”誕生秘話
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph byL’Équipe
posted2021/10/31 17:00
伝説を生んだEURO76決勝のPK。この直後、西ドイツGKのゼップ・マイヤーは唖然とすることになる
GKはPKの際にライン上で静止してはいない。キッカーが蹴る瞬間に左右どちらかの方向を選択して跳ぶ。だが真ん中に強く蹴っても、GKは跳んだ後でも(残った足先などで)ボールの方向を変えることができる。しかし緩いボールが適度な高さに蹴られたら、反応もできないし真ん中に戻ることもできない。だから僕はボールを軽いタッチで蹴る練習を集中的におこなった。それができるようになってからは、賭けも連戦連勝だったよ(笑)。
繰り返すがあの蹴り方はその場の思いつきではなかった。根気よく練習した結果だ。まず蹴る前に相手GKに、通常の蹴り方でキックすると思い込ませる。助走の勢いや視線など、あらゆる動作が通常のPKを示唆している。EURO76決勝の西ドイツ戦は、あのキックを試すいい機会だと思った。延長でも決着がつかなかった試合はPK戦に突入し、僕は5番目のキッカーだった。僕の前で西ドイツのウリ・ヘーネスが失敗し、僕が成功すれば優勝が決まる状況だった。
プレッシャーはとてつもなく大きかったが僕は自分のやり方で蹴ろうと決めた。大きな国際大会で、誰かがあんな大胆なことをするのは初めてだったが、不安はまったくなかった。逆にとても落ち着いていて、ボールに向かうときは極めて冷静で一瞬の躊躇いもなかった。勇気が漲って、「これを練習したのは僕だけだ。普段通りにやればなんら恐れることはない」と自分に言い聞かせた。
ゼップ・マイヤーは仏頂面だった
成功の確率は五分五分だった。適度な強さで蹴ればゴールインするが、弱ければゴールラインまで届かずに(逆回転で)戻ってきてしまう。でも僕は何も気にしなかった。それこそが成功の鍵だった。決められたゼップ・マイヤー(西ドイツ代表GK。EURO72、74年W杯優勝)も本気で怒ってはおらず、立ったままでKOされたかのように唖然としていた。ジャーナリストのなかには、僕のような当時無名の存在が、世界的な大スターを相手に道化を演じようとしたと書くものもいたが、それは事実ではない。僕は自分のやり方でPKを蹴っただけだ。誰を侮辱するつもりもからかうつもりもなかった。