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「《タケフサ=得点力に欠ける》は正しい指摘ではない」マドリー番記者が“ココだけに記す”久保建英への率直な評価
posted2021/10/17 17:01
text by
ハビエル・シジェス/ディアリオ・アスJavier Silles/Diario AS
photograph by
Getty Images
フットボール界はいつの時代も若いタレントの話題に敏感だ。まだ髭の薄いニューフェイスが現れるたび、人々は明るい未来を予言し、希望を膨らませる。だが多くの場合、それは現実からかけ離れた妄想に終わってしまうものだ。
久保建英がバルセロナではなく、レアル・マドリーの選手としてスペインに戻ってきた際も、生じた期待感は極めて高いものだった。あれから2シーズン半。光と影を経験する中で、その才能が霞んだことは一度もなかった。むしろ彼が他とは一線を画す、成功を約束された選手であると考えるべき根拠は、至るところに見て取ることができた。
久保の才能をどう評価し、どのように伸ばしていくか。それは彼に関わる全ての人々にとって大きな挑戦となる。だが、それに対する答えを持っているのは本人だけだ。そして少なくとも、これまで彼が見せてきたパフォーマンスには、疑念よりも確信を抱かせるだけの説得力がある。
技術を擁し、肝っ玉の据わった若者という印象
久保がスペインに戻ってきた当時は、彼がコパ・アメリカで見せたパフォーマンスが話題となっていた。レアル・マドリーは卓越したテクニックを擁し、大胆で、肝っ玉の据わった若者と契約した。国際舞台で認知されるきっかけとなった大会を通し、久保はそんな印象を我々に与えていた。
プレシーズン中に同様のインパクトを残した後、久保は戦いの場をマジョルカに移した。当時のマジョルカはプリメラ・ディビシオンに昇格したばかりで、華やかな世界とはかけ離れたクラブであり、献身性と守備面のハードワークを何よりも重んじるビセンテ・モレノがチームを率いていた。
ヨーロッパ初挑戦の若者にとっては難しいプレー環境だったが、久保はフィジカル面のハンディキャップを乗り越え、日本人選手に対する「上手いが戦えない選手」という一般的なイメージを払拭していった。シーズンが終わる頃には、1年前よりも優れた選手に成長していた。
得意ではなかった守備のコンセプトを吸収した
マジョルカでのシーズンを通し、久保はフットボールの理解を深めていった。ビセンテ・モレノの信頼を勝ち取るためには、いち早く守備戦術を学ぶ必要があったからだ。実際、彼が先発に名を連ねはじめたのは、その点で信頼できる働きができるようになってからのことだ。