欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
《番記者が分析》「久保建英が18歳時に放った輝きと同様に…」マジョルカで最も議論されている“韓国の至宝”との共存策は?
posted2021/10/17 17:00
text by
カルロス・ロマン/ウルティマ・オラCarlos Román/Ultima Hora
photograph by
Daisuke Nakashima
今シーズン序盤にマジョルカを襲った負傷者の波は、久保建英を含めた攻撃陣にまで押し寄せた。チームが勝利から見放され、序盤の数試合で手にした貯金が底をつきはじめた最悪のタイミングで、久保の名は故障者リストに書き加えられることになった。
ただでさえ人手不足の状況下、久保は詳細不明の膝の負傷――唯一の手がかりである監督の説明も具体性を欠くものだ――によってスタンドへと追いやられ、マジョルカは攻撃面における最大の武器の1つを失うことになった。
負傷は今季最悪の一戦で生じた
しかも久保の負傷は今季最悪の一戦で生じている。8年半ぶりに訪れたサンティアゴ・ベルナベウにて、マジョルカは今世紀の最多失点を献上した。当初、久保の離脱は滝に打たれるように失点を重ねた惨敗ぶりに覆い隠された感があった。だが台風が過ぎ去った今となっては、指揮官のゲームプランにおいて重要な損失となっている。
久保が初めてマジョルカでプレーした2年前は、多くの点でネガティブなシーズンだった。当時のマジョルカは新型コロナウイルスの感染拡大がもたらしたリーグ中断によって良い流れを断たれ、再開後は過酷な過密日程に苦しんだ末、セグンダ・ディビシオンへの降格を強いられた。
それでも久保は個人的に良い印象を残し、マジョルカが発する数少ない明るいニュースとなっていた。
レアル・マドリーと契約し、トップチームのプレシーズンにも参加していた久保は移籍市場の主役の1人だった。そんな選手がそれまで補強が十分ではなかったチームにやってきたことで、当時は島中が期待感に包まれた。
チームで最も若い選手の1人だった久保は、加入当初こそビセンテ・モレノの先発構想に入るのに苦労した。だが最終的には攻撃の中心を担い、マジョルカの一員として残留のために戦ってくれた。
プレー時間減少が成長にブレーキをかけたのは明らか
だがチームの2部降格により、マジョルカと久保の関係は永遠に断ち切られたかに思われた。その後マジョルカは新監督の下で再スタートを切り、久保はビジャレアルへとステップアップを実現する。しかし、再び1部昇格への道を歩みはじめたマジョルカと並行し、久保はウナイ・エメリの指揮下でもビセンテ・モレノの下で経験したのと同じ障害にぶつかることになった。
プレー時間の減少が久保の成長にブレーキをかけたことは明らかだった。