オリンピックPRESSBACK NUMBER
「僕にとって3000m障害は天職です」三浦龍司19歳が明かす“2つの覚悟”〈東京五輪で史上初の入賞を勝ち取って〉
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byAFLO
posted2021/10/09 11:02
東京五輪3000m障害で49年ぶりの決勝進出と日本人初の入賞を勝ち取ったのは、19歳大学2年生の三浦龍司だった
「スローで入って2000mまで徐々にペースが上がって、ラストの1000m、800m、400mで急激にペースアップしていく2分30秒ぐらいの展開を予想していました。国内レースではあまりないことなので、正直自信がなかったです(笑)。だからこそ、そういう展開にさせないようにしようと思ってレースに臨みましたね」
レースは、国際レースらしく超スローな展開で始まった。それにもかかわらず、三浦が前に行かなかったのは、電光掲示板を見誤り、2分35秒の早いペースで走っていると勘違いしていたからだ。
「35秒と出ていた掲示板を見て『あれ、こんなに早いか?』って思っていたんですが、決勝の空気に吞まれたのかなあと思って、このペースならと思ってついていきました。でも、あとで聞いたら2分52秒の極端に遅いペースで、どうりで上手く障害に合わなかったなと。でも、これが海外のレースだなと身をもって体験できました」
ラスト1周で9位地点「あとひとつ上げれば入賞になる」
勝負は、残り1000mで突然始まった。
「先頭が動いた瞬間、ピリつくというか、一気に競争心がむき出しになったんです。そこについていこうと前に出ると、周囲の選手がなにがなんでも前に来ようとしたり、差し合うようなシビアな展開で、国内では味わえない厳しいものでした」
ラスト1周の鐘が鳴った時点で、三浦は9位だった。メダルを狙う選手たちは、さらにスピードを上げ、先を走っていく。ここで、三浦は現実的な目標に切り替えた。
「9位にいたので、あとひとつ上げれば入賞になる。何がなんでも入賞したいなと思いました。ただスパートのタイミングだけは間違えないようにと心がけていました。ミスると最後の最後で抜かされたり、逆に遅すぎると逃げ切られてしまうので」
自分のスパートが海外の選手にどれほど通用するのかもわからない中、「一か八かというところもあった」と振り返るが、三浦は前を追いながらラストスパートをかける瞬間を冷静に見極めていた。
「残り200mだと早いし、100mだとハードルに合わなければ大幅なロスになる。内水濠を越える辺りから加速していき、跳躍で半歩前に出て、そのままストレートの障害をハードリングで越えて、逃げ切るように考えていました」
最後のストレートで2人を抜き去り、三浦は、見事7位入賞を果たした。
「狙い通りでした(笑)」