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「僕にとって3000m障害は天職です」三浦龍司19歳が明かす“2つの覚悟”〈東京五輪で史上初の入賞を勝ち取って〉
posted2021/10/09 11:02
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
AFLO
日本人史上初の快挙を成し遂げた19歳に、東京五輪までの道のりから駅伝への想い、そして意外な素顔について聞いた(全3回の1回目/#2、#3に続く)。
7月14日、ホクレン・ディスタンスチャレンジ北見大会(以下、ホクレン北見大会)の5000m。調整の一環として参加した五輪前最後のレースで、三浦は自己新の13分26秒78をマークする。はたから見れば「調整は万全」という記録だが、一方で三浦は身体に明確な違和感を抱えていた。
「タイムは出たんですけど、個人的には下半身の動きが悪かったですし、ちょっとした揺さぶりや切り替えにも対応できていませんでした。もしこれが本番のレースだったら振り落とされて負けていたと思います。自分としてはちょっと物足りない感覚でした」
5000mへの準備を特別にすることもなく、いきなり好タイムを出したせいか、身体への反動が予想以上に大きかった。入念なマッサージをはじめ、何とかできる調整を最大限に行ったが、東京五輪直前まで状態が変わらなかった。
本番前夜で突然の復調「感覚が良くなっていました」
予選前夜、まだ不安が残るなかでサブトラックを1000m走った。すると、なぜか自分の走りの感覚がしっかりと戻ってきていた。
「走りの感覚が良くなっていました」
長門監督が驚くほどの復調を見せた。あとはレースに集中するだけだが、三浦が入った予選グループ1組は、他の2組よりもかなり質の高い選手が集まっていた。
「ダイヤモンドリーグや世界選手権で見たことのある選手がいました。当然ですけど、五輪に出てくる選手はかなりのタイムを持っていて、明らかに格上ですが、走る前にあれこれ考えても仕方ない。ここ数回タイムを出している自分の手応えを信じてレースに臨みました」
国際大会のレースは初めてだったが、予選は国内のレースのような積極的な展開だった。三浦はペースが落ちないように先頭に圧をかけ、ハイペースをキープしていく。
「2000m以降は1位集団、2位集団に分かれてきたのですが、まだラスト1000mに備える体力が残っていました。『もしかしたら着順で行けるんじゃないか』という手応えを感じて、途中で着順を取る走りに切り替えたんです」