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「日本サッカーの父」クラマーを連れてきた“知られざる丸腰の留学生”とは《革命的な“止める・蹴る”とメンタル指導秘話も》 

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出嶋剛

出嶋剛Takeshi Dejima

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2021/09/24 11:05

「日本サッカーの父」クラマーを連れてきた“知られざる丸腰の留学生”とは《革命的な“止める・蹴る”とメンタル指導秘話も》<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

日本サッカーの父であるデットマール・クラマー。「止める・蹴る」など、その指導法は今も継承されている(2003年撮影)

 1960年のドイツ遠征中、クラマー氏は覇気なく大敗したチームに「ドイツにはゲルマン魂がある。日本には大和魂があると聞いていたが、君たちにはないのか」と雷を落としたとの逸話もある。終戦から15年。死語になりつつあった言葉だった。

 この叱責から46年後の2006年にはイビチャ・オシム氏が日本代表監督就任会見で「日本を日本化する」と宣言した。外国人の指摘で日本の美徳や持ち味にあらためて気付かされることがある。外国人指導者を招く1つの利点であり、クラマー氏からも享受していた。

 当時のチームにいた川淵相談役は「クラマー氏は、怒り方がうまかったよ。今でも覚えているんだから。『貴様、何してるんだ、この馬鹿野郎』とか、日本の指導者がすぐ言うようなことは絶対言わなかったな」と懐かしむ。

 当時の日本はOBたちが仕事の傍らに指導するのが一般的で、体系的な指導法もなかった。指導者が変わるたびに指導法も変わり、戸惑う選手も多かった。日本が指導者養成制度の確立へと乗り出すのはクラマー氏の提言を受けた後だ。

「クラマーのために戦う」を合言葉に銅メダル

 すでに制度を確立し、世界を制した西ドイツで評価を得ているクラマー氏の指導は慈雨のようで、選手はスポンジのように吸収した。急成長を遂げ、1964年東京五輪は8強入り。1968年メキシコ五輪のメンバーにはクラマー氏の指導を受けた釜本邦茂氏、杉山隆一氏ら主力が残った。

 メキシコでの合言葉は「クラマーのために戦う」。クラマー氏に心酔していた選手たちは、敬愛する恩師の指導が正しく、いかに素晴らしかったかを結果で示そうとしていた。国際サッカー連盟の一員として会場に来ていたクラマー氏は、銅メダルを獲得したチームに涙して喜び「大和魂を見た」と話したという。

「フィリピンにも負けていた日本を指導したのはわずか3、4年。それが1968年のメキシコ五輪では銅メダルを取るんだから。いかにクラマーさんがすごかったか分かるでしょう」

 成田氏の声が弾む。美しい思い出は、100年の歴史を重ねた日本サッカー協会がまだ高度に組織化されず、個人の奮闘が成果に結びつきやすかった時代の美しいおとぎ話のようだった。

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