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「日本サッカーの父」クラマーを連れてきた“知られざる丸腰の留学生”とは《革命的な“止める・蹴る”とメンタル指導秘話も》
text by
出嶋剛Takeshi Dejima
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/09/24 11:05
日本サッカーの父であるデットマール・クラマー。「止める・蹴る」など、その指導法は今も継承されている(2003年撮影)
クラマー氏と対面する前、野津会長は壁に掲げられていた詩を目にして「成田君、これだよ。これが大事なんだよ」と感嘆の声を上げたそうだ。
「ものを見るのは魂である。目自体は見ることはできない。ものを聞くのは魂である。耳自体は聞くことができない」
成田氏は、野津会長がこの一節とクラマー氏の人間性を同一視したように感じた。こういう精神を大事にする人物であれば間違いはない、と。
当時、外国人指導者を呼ぶことに一部で反対もあったという。「野津会長は成田君に任せると言ってくれていたが、不安もあった。ですが、この瞬間、僕は野津さんがクラマーさんを絶対に呼ぶだろうなと確信しました」と振り返る。
レベルが違った「止める・蹴る」の技術指導
この初対面からほどなく日本代表がドイツに到着。クラマー氏の指導がスタートした。現場の指導者として残した最大の遺産は基礎の重視だ。しつこく基礎を徹底した。インサイドキックの練習をさせると「こんなの子どもでもやっている」と代表選手から不満の声が上がった。だがクラマー氏の実演したキックは、当時の日本選手とレベルが違った。
クラマー氏は鋭く、正確なボールをびしびしと足元に付けるが、日本代表はばらばら。クラマー氏が後に持ち込んだドイツ時代の指導風景を収めたフィルムでは、日本代表に施した練習と同じ内容をドイツの一流選手がやっていた。もちろん、技術レベルには雲泥の差があった。クラマー氏は基礎にも世界基準があると示したのだ。
田嶋幸三・現日本協会会長は当時、クラマー氏のコーチ教習で「デイジーカッターを蹴れ」と言われた。デイジー(ヒナギク)は芝と一緒に生える雑草である。その花を刈り取るような鋭い逆回転が掛かったパスを出せ、という指示だった。
パス1本、こだわれば終わりがない。田嶋会長は初代スクールマスターを務めたJFAアカデミー福島では「止める、蹴る」を徹底させた。「トップレベルにたどり着くためにはいろんな技術が必要になる。だけど、基礎となるものは止めて、蹴る。土台がしっかりしていないと、その上に多くの物を築くことはできない」との信念は、クラマー氏から脈々と引き継がれたものだ。
オシムの46年前に日本サッカーが享受した“金言”とは
技術指導だけでなく、モチベーターとしても多大な遺産を残した。