野球クロスロードBACK NUMBER
〈退任する監督へ…〉近江に敗れた日大東北の“4番エース”が、雨天ノーゲームや「悲劇の3球負傷降板」よりも悔しかったこと
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byKYODO
posted2021/08/21 17:02
8月20日に行われた近江-日大東北。敗れた日大東北ナインの胸には、ある思いがあった。
宗像監督が選手達に告げた「この夏で、終わりになるから」
日大東北が18年ぶりの甲子園を結実させた成長。その大きなきっかけは、福島県大会の抽選会直後に訪れた。
「この夏で、終わりになるから」
宗像が選手たちを前に退任を告げた。
ADVERTISEMENT
1987年に日大東北の監督となり、2007年から17年まで野球部を離れたが、トータルで23年もチームを指揮した。その道程には聖光学院に破られるまで福島県記録だった夏の県大会3連覇。昨年まで6度の甲子園に導くなど、宗像は日大東北の礎を築いた男だった。
その監督をして、「最弱」とレッテルを貼られていたのが今年のチームだった。
新チームが始動して最初の公式戦となった秋。県大会2回戦で学法石川に3-8で敗れ「投手陣は計算が立つ選手は見つかったが、まだまだ底上げが必要。全体的にまだまだ」と、収穫以上に不安要素が多かった。吉田が大黒柱として成長し、「打線を強化すれば、夏はそれなりに戦えると思う」と手応えを掴み臨んだ春も、準々決勝で秋と同じ相手に2-9の大差で散った。
「自分たちは弱い」と自覚して臨んだ県大会
夏は第8シード。優勝候補に挙げる声はほとんどなく、「吉田が踏ん張れば、上位を狙えるかもしれない」と、ダークホースのような立ち位置だった。
この時、宗像の監督退任は公には知らされていなかった。だからこそ、夏の福島での戦いぶりが不思議でならなかった。
初戦は格下と目されていた修明に先制されるなどよもやの苦戦を強いられ、延長10回に勝ち越し3-2の辛勝。このように、福島では派手な勝利がほとんどなかった。それどころか、バントや走塁、守備のミスが散見するなど脆さを露呈していたくらいだ。
にもかかわらず、最終的には勝っている。これが、夏の日大東北だった。
――最後にはゲームを引き締めますね。
福島大会中、宗像に尋ねると「まあ、そういうわけじゃないんですけどね」と、明らかな苦笑いを見せていたものである。
「夏は負けたら終わりですから。勝てればいい部分はありますが、それにしてもやってはいけないミスがあるのは事実です。ただ、今年のチームは『自分たちは弱い』と自覚していますから。1試合、1試合、成長してくれればな、と思ってはいます」