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札幌ドームが五輪会場で使えない…“世紀の祭典”の陰で奔走したスペシャリストたちの舞台裏
text by
高山通史Michifumi Takayama
photograph bySankei Shimbun
posted2021/08/15 06:00
7月14日、帯広の森野球場で行われたオリックス戦。日本ハムは6回に逆転し、最後は帯広市出身の杉浦稔大が締めて6-2で勝利した
1つの難所が、7月22日だった。チームが札幌滞在時には内外野のある球場での練習がままならず、同市内の室内練習場を利用しての調整を強いられていた。真夏に閉塞感のある環境での練習が続いていたが、リフレッシュも兼ねてその1日だけ栗山町民球場へと足を延ばした。札幌からは車で約1時間、栗山英樹監督が生活拠点を置いている町である。
自然に囲まれた球場を使用しての練習。プロ野球選手が消化するメニューに適した設備がそろっていないため、札幌ドームから打撃ケージなどを運搬して整えた。ゲームオペレーショングループのSグループ長は「お金もかかりましたし、大変でした。たった1日だけでしたけれど、頑張りました」と笑う。舞台裏には、周到な準備と労力があったのである。
一般非公開だった練習は栗山町、その近辺の有志、野球チームに所属する少年少女がサポートしてくれた。グラウンド整備、球場外の交通整理、ボール拾い……など、雑務を率先して買って出てくれた。球団関係者用の食堂には、名産品で果肉がオレンジ色の夕張メロンの差し入れも並んだ。球団、地元の人たちで整えた温もりが詰まった手弁当の環境で、水を得た魚のように生き生きと選手は練習できたのである。
恩返しは後半戦の戦いで
世紀の祭典の中で、プロ野球はこれまで経験がなかったような期間を過ごした。例年とは違い、スポットライトを浴びることがない空白の時間があった。存在を実感できないような日々を経て、再スタートを切る。
ファイターズも、オリンピックを支えたボランティアやスタッフのように無数の方々からのサポートを受け、その恩返しをする後半戦を迎える。
強烈な光の陰で、プロ野球も必死に生きていたことを証明する戦いになる。
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