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札幌ドームが五輪会場で使えない…“世紀の祭典”の陰で奔走したスペシャリストたちの舞台裏 

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高山通史

高山通史Michifumi Takayama

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/08/15 06:00

札幌ドームが五輪会場で使えない…“世紀の祭典”の陰で奔走したスペシャリストたちの舞台裏<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

7月14日、帯広の森野球場で行われたオリックス戦。日本ハムは6回に逆転し、最後は帯広市出身の杉浦稔大が締めて6-2で勝利した

 過酷で孤独な使命である。単身で現地に入り、地方のスタッフらと協力し、また指示を出しながら5日前後で公式戦仕様へと仕上げる。その間は、自分で手配したビジネスホテルに寝泊まりして、コンビニの弁当などで自活する。酷暑、炎天下での作業は丸1日に及ぶ。

 作業で着用するウエアの消費も激しい。Wさんは「2日に1回はコインランドリーで洗濯するような感じ」の生活パターンを繰り返すという。たった1人で陣頭指揮を執り、1カード2試合のために万全を尽くすのである。午前9時から午後6時まで、球場で過ごすという。

プロ仕様のマウンドとは?

 通常はアマチュアが主に使用している施設が多い。一番の違いはマウンドだという。Wさんは「ブルペンを含めて、マウンドには気を使います」と明かす。軟らかい場合が多く、まずは土を掘り起こす作業からスタート。粘土質のマウンドクレイと呼ばれる専用の土を加えて、適度な硬さへ整えていく。外野等の芝の長さは2.5~3cmのファイターズの整備の規定の範囲内に収めるように刈り込む。ほか細部も、直前まで微調整しながら本番の日を迎えるのである。

 公式戦の中断期間には、函館で主催するエキシビションマッチ5試合が行われた。準備期間が3日しかなく、Wさんは早朝から作業にあたることで時間を捻出して、間に合わせたという。これで役目を終え、主戦場の鎌ケ谷へと戻るという。「何とか、無事に終わって良かったです」と安堵していた。

 オリンピック期間中、スポットライトを浴びる機会が必然と減少したプロ野球のバックヤードは、激しく闘い続けていたのである。

【次ページ】 苦労が報われたエキシビションマッチ

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