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福島県予選で波乱「14回連続甲子園が消えた夏」 聖光学院監督が明かす“最後のミーティング”「選手たちは笑顔だった」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2021/07/25 17:45
最後のバッター2年生山浅を3年生たちが抱えながらベンチへ下がる
1.選手層の底上げ
2.核となる選手の自覚と自立
3.ベンチメンバーと控え選手たちとの結束
「1.選手層の底上げ」は、シーズンオフから春先までの歩みだ。レギュラーメンバーを脅かす存在。彼らの気概がチーム力を高める。いくつかの事例を挙げれば、昨秋に背番号2桁だった今井龍空が夏に背番号「5」を勝ち取った。同じく昨秋の東日大昌平戦で、「しばらく夢に出てくるほど悔しかった」と、敗戦を招く投球をしてうなだれた五十嵐蓮が、エース・谷地亮輔と並ぶ投手陣の柱となった。今夏に背番号「18」を付けた奥山蓮は、春先に4番を任されるなど台頭したひとりだった。彼ら以外にも、斎藤をして「誰が試合に出てもおかしくない」と言わしめるほど、選手層が厚い布陣を形成することができた。
「キャプテンらしくなりました」
「2.核となる選手の自覚と自立」のキーマンは、主将の坂本寅泰とエースの谷地だった。
昨夏の独自大会で下級生唯一のメンバー入りを果たし、プロも注目する打者でもある坂本は、当初「キャプテンはちょっと……」と拒否してしまうほど、控えめな青年だった。
自覚の発芽。そのきっかけは1月の紅白戦に訪れた。打席に立った坂本は、ストライクが入らない投手のボールをひたすら見送っているだけで、自発性と求心力のなさから斎藤にカミナリを落とされた。それから間もなくして、主将に抜擢された。これが大きな契機となったと坂本は言う。
「それまでは周りに気を遣っていたけど、監督さんに怒られ、キャプテンにしてもらってからは『思っていることを言わなかったら、みんなに信じてもらえない』って、だんだん言いたくないことも言えるようになりました」
夏を迎える頃には、選手の誰もが異口同音に「おとなしかったけど、キャプテンらしくなりました」と認める存在となった。
「“不眠合宿”、やってよかったです」
エースの谷地は坂本とは対照的で、自己主張の強い選手だった。
右ひじの故障が癒えて間もない昨秋はエースナンバーを背負えず、満足のいく投球ができなかった悔しさから、オフは自身と向き合った。細かいフォーム修正や下半身を中心としたトレーニングが実を結び、春には120キロ台後半だった球速が135キロまでアップ。エースの座を不動のものとした。
「熱血漢の谷地にも任せたかった」と監督の狙いもあり、6月の約1か月間、主将に任命された。その期間、谷地は精力的に動いた。そのひとつに不眠合宿の実現がある。
夏を見据え「極限状態での戦い」を想定した恒例行事で、本来なら6月下旬に3年生が中心のAチームのみで実施される。金曜の夜から深夜まで練習し、数時間の仮眠を経て土曜の昼間に練習試合に臨む。このサイクルが日曜まで続く。昨年はコロナ禍により中止となり、今年も行わない予定だったが、主将の谷地が選手たちに呼びかけ、斎藤に志願。3年生の控えメンバーと2年中心のBチームとの壮行試合の前日となる、7月3日に敢行された。谷地が言う。