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“413球”上野由岐子「人間的に嫌いなわけではない」 13年前、ソフトボール“奇跡の金メダル”を生んだ「小さな事件」
posted2021/07/26 17:09
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Sankei Shimbun
偉業と呼ばれるものは、得てしてそういうものなのだろうが、無数の「もし」に満ちている。もし、あのとき――というような。
そして、いくつものそれを辿っていくと、まるで勝利の女神の「見えざる手」が介在していたかのような錯覚に陥る。
この夏、北京五輪におけるソフトボールの金メダルもそうだった。
その中における最大の「もし」。もし、監督が斎藤春香ではなかったら。
そのことをもっとも感じたのは、アメリカとの決勝戦で、4番ブストスを敬遠した場面だ。エースの上野由岐子が「勝負の分かれ目だった」と振り返った場面でもある。
「監督である私は絶対に出ない」
試合終了直後に行われた表彰式でのこと。金メダルをかけてもらった選手たちが放送席に向かって叫びながら、金メダルを突き上げる。放送席では、シドニーとアテネで代表監督を務めた宇津木妙子が号泣していた。
感動的なシーンであると同時に、どこか不思議な光景でもあった。
宇津木は代表のスタッフではない。だが、所属チームであるルネサス高崎での肩書き同様、代表チームの総監督のように映った。
そのときに覚えた妙な感覚は以降も、日増しに強くなっていった。翌日、何度となく斎藤や上野の姿をテレビで見た。だが斎藤の声を聞いた記憶がほとんどない。その後もこの快挙は映像や活字で何度となく報道されたが、監督の斎藤の存在が希薄だった。宇津木や、ルネサス高崎の監督である宇津木麗華の方がはるかに露出度が高かった。
こういう声をしてたんだ――。斎藤に話を聞いたとき、最初に感じたことは、そんなたわいもないことだった。
「周りの人は、もっと前に出ろって言うんです。目立ってこい、と。でも監督である私は絶対に出ないって決めてたんです。武士道が好きというか、青森県人の県民性なんですかね。『自分がやった』みたいのは嫌なんです」
『間違いなく上野を憎んでいます』
ルネサス高崎に所属する上野は、宇津木の秘蔵っ子と言っていい。そんな上野のことを宇津木は自著『宇津木魂』の中でこう書く。